2010年5月26日水曜日

Dance In The Turf 競馬場のはなし

東京優駿(とうきょうゆうしゅん)とは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の芝2400mで施行する競馬の重賞競走である。

一般的にはレース名の副称である日本ダービーの名で広く知られており、現在の日本の競馬においてその代名詞とも言える競走である。「競馬の祭典」という呼称もマスコミが広く用いている。

1932 年(昭和7年)にイギリスのクラシック競走であるダービーステークスを範して創設された、日本で最も古くから同一条件で開催されている競走の一つで、毎年5月末頃に開催され、春の皐月賞、秋の菊花賞とともに三冠競走を構成する。

出走資格は3歳の牡馬・牝馬の競走馬だけに与えられ、去勢された馬は出走権がない。

日本の3歳(旧4歳)馬の代表決定戦であり、日本の全てのホースマンが憧れる最高の舞台である。騎手にとっては本競走を制すと晴れてダービージョッキーの仲間入りを果たすことができる。

1973 年(昭和48年)までは日本国内の最高賞金額で、名実ともに日本最大最高の競走だった。[1]現在は、賞金額においては国際競走であるジャパンカップ、全ての馬に出走権のある有馬記念に次ぐ3番目となっている。格付においては、2010年から国際統一規格で最高格となるGIとなる予定である。

wikipedia 東京優駿

 ここ数日何だか落ち着かない、と感じていたのは、ダービー(東京優駿)が近づいてきたからで、何故そのダービーが近づいたごとき(ごとき、というのは語弊がある、何故ならダービーは多くの競馬ファンには心躍る競馬の祭典なのである。G1。グレードワン。毎年一万頭近い仔馬が生まれ、その中で中央競馬で活躍出来る馬はごく限られているのだ。活躍出来る、というのは賞金を稼いでこられる、という意味でもあるし、アイドルのように競馬のイメージホースになる馬になれる、ということでもある。)で心がざわついて仕方がないのか、というと、一人で初めて競馬場に行ったのがダービーだったからだ。

 当時京都市内に住んでいたので東京まで行けるほどの財力も瞬発力もなく、だから私は淀(京都競馬場/京阪電車淀駅は土日だけ人の乗降が驚くほど多くなる不思議な駅だ)のターフビジョンで観たのだけれども、どうしてか行こうという気になったのはその年の五月にKが亡くなったからで、ずっと「競馬場に行ってレース見よう!」と約束めいたことをしていたからだった。

 Kの西日本にあるご実家まで行ってお線香をあげてからは毎日が、どろどろと寝ているのか起きているのかよくわからない、ほとんど酩酊状態だった私をそこまで何とか引き揚げたのは、当時は競馬場だった。

 私とKといつも待ち合わせてごく僅かに競馬を楽しむのはいつも、祇園のWINSだった。
祇園のWINSという場所は少し変わった場所にある。投票券、という正式名称のつく馬券は、大抵百円から買える。どの組み合わせも百円から買っていいのだ。初めて買う人は大抵単勝、複勝という好きな馬一頭ずつ、なおかつ最低金額百円から買える馬券を買ったりする。ターフを駆ける天馬ディープインパクトが走っていた頃、沢山の人がディープインパクトと印字された馬券を買っただろう、あれと同じ買い方。
 でも祇園のWINSでは“しょば”代なのか、連勝単式、連勝複式の投票券を買うときは一組み合わせ千円から、といういっそ清々しいくらいの掛け金を要求される。当然見返りは大きいが、投資分も大きい。人が絶えるのは、全ての競馬番組が終わる夕方五時頃だった。それまではざわざわと人々が入れ替わり立ち替わる。

 それは花見小路をちょいと東に行ったところで、おおよそギャンブルにはそぐわない場所に建っている。すぐ近くには寺もあるような、ひっそりとした静かな場所なのだ。その花見小路の曲がり角には土日におじさんたちがたむろしている小さい喫茶店がある。その喫茶店がひとつの目印でもあった。石畳で町屋づくりの建物が並ぶ小径だ。置屋もあるしとても入れそうにない敷居の高い小料理屋もある。たまにその小径を歩く外国人観光客がいる。その為なのか小さな甘味屋もある。

 そこは、ある種異界であり職業のるつぼめいた場所だった。ふらりと休憩時間にやってきた板前さんが、あの白いうわっぱりを着たままで煙草をくわえながら馬券を買っていたり、夜の街へこれから消えていくような若くて少し派手なお姉さんを連れた羽振りの良さそうなおじさんもいたし、でも一番多かったのはごく普通のおじさんばかり。たまに学生らしい若い人も連れ立っている。
買うレースもなくお金も使いたくなくてたまにぽつんと立っていると「次はな、これ。こいつが来るで。賭けてみ」と笑いながらおじさんに言われてその通りに賭けてみると本当に取れた馬券もあった。払い戻しが終わった頃にふらふら立っていると、また同じおじさんが札束をごそっとジャケットの胸ポケットに押し込んで「どや、来てたやろ」と笑っていた事も。

 もちろん毎週なんてとてもじゃないが行けなかったので大きめのレースのある時くらいだけだったけれど、そこはまるで京都であって京都ではない、一種の別世界だった。私はそこでちょくちょく大きなレースを見た。菊花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、秋の天皇賞、ジャパンカップ、ジャパンカップダート、有馬記念、ジュベナイルフィリーズ、朝日杯。そしていくつもの小さな条件レース。帰る道すがらはいつも、「いつか競馬場に行こう」と二人の話が落ち着く。
 Kは「こんなん(WINS)とは全然ちゃうで」と言う。彼は地方競馬を見た事もあったらしい。こんな白っぽい、建物の中だけの狭い場所ではないのだと力説する。私は競馬場を想像してみた。けれどもどうにも上手く想像出来ない。JRAのサイトを見ても彼の話している「競馬場」とは上手く線で繋がらないのだ。その内に競馬場は私の憧れの場所になった。大抵の行ったことのない場所は、私にとってはいつも憧れの場所になるのだ。

 私には「いつか」で充分だった。果たされない約束がある方が未来が見えるようで、楽しかった。当然もうその恋は行き止りに近づいてはいたのだけれどーーそれでも充分だった。私は「いつか」を待っていた。待ってさえいれば必ず訪れてくれると、まるで王子様がお姫様を迎えに来るーーそして必ずハッピーエンドで閉じられるーー物語を読むように。自分から迎えに行けば良かったのに、「いつか」という響きに酔って甘えてしまった。
 Kが本当の本当にいなくなって、何をしても砂を掴んで投げているような気持ちでいた時に、ふと思い出したのがダービーだった。そうか、ダービーを観に行こうじゃないか。「いつか」を今にすればいいじゃないか、今更だけれど、Kはいないけれど、それでもやっぱり迎えに行こうじゃないか。
 身支度をして久しぶりにまともに外出したら、眩しかった。道路も、車も、信号機も、人の流れも。

 あの日ーー部屋に閉じこもろうと決めた日ーーはまだ春の名残があったのに季節はもう夏が羽化するのを待つばかりだ。蛹の中に閉じ込められるようなねばねばと纏わりつく湿度も、私にとっては懐かしくて新しい。ずっと部屋で泣いて寝て酒を飲んでばかりいた身体には少々辛かったけれど、その日のメインレースであるダービーを競馬場で観ようと淀へ向かった。Kが「こんなんとは全然ちゃうで」と顔を顰めながら話していた競馬場に、その思い出を持っていくのだ。その為には一人で行かなければならないし他言も無用だ。

 ダービーは府中の東京競馬場で行われるので、淀で観る、と言ってもターフビジョンでレースの様を観るだけだ。とは言っても年に数度ある祭典というかファンにとっては季節を知る儀式めいたものなので、人の出はまずまず多い。揉まれるほどではないけれどのんびりしていたら人とぶつかるくらいの人出ではあった。
 レースが始まる前に馬券を少し買って観客席に腰を下ろす。誰もが皆浮き足立っているのがわかる。時折苛立たしげに歩く人もいるが、大抵の人は楽しそうだった。いよいよレースが始まるとなると、ターフビジョンなのにファンファーレに合わせて手拍子も始まるしわあわあとお祭り騒ぎである。がっしゃんというゲートの開く音がして競走馬たちが飛び出す。それを観る人達はみな立ち上がっている(ターフビジョンで流されているだけの映像なのに!)。

 一頭の馬の鼻面がゴール板を横切ったところでレースは終わる。観客たちは景色が揺れるような歓声で皆思い思いに叫ぶ。私が主人公になる物語ならとりあえず主人公である私は涙を流すのだろうが、物語ではないし主人公でもないので涙は全く出なかった。それでよかった。あの場で泣けなくて本当によかった。

 久しぶりに外には出られたのだった。どういう切っ掛けであれ、Kのいない外に。

 これからはどこに行くにも一人で外に出る、それは恐ろしい事ではあった。けれどもよく考えれば私はいつも一人だった。誰といてさえ一人、けれど望んだ事だった。二人でいても、私(たち)は一人一人で歩いていたのだ。それを淋しく思った事はなかったのだから、何も哀しい事など、ない。

 日常は続く。私が生きている間はどんなに土嚢を積んだとしてもその流れには逆らう事も出来ないし、水の流れは止まることはない。
 Kはいない、私はいる。それだけ、ただそれだけ。
 お弔いなんかじゃ決してない。ただ行きたかっただけ。

 珍しくどこにもーー本屋にすらも!ーー寄り道をしないで帰宅して、ベッドに倒れ込んだ頃に緩やかに視界が滲んだが、久しぶりの化粧の所為だと立ち上がり、シャワーをすっかり浴びてから、眠った。何の夢も見ずに真っ暗な眠りの中に落ちた。くしゃくしゃに丸めて放り込んだ馬券の事も、わあわあと我を忘れるほどに叫んでいた人々の事も、盛り上がった筋肉を優雅に使って走る馬たちの事も思い出さずにただ、眠った。
 あれから何度かダービーを見た。同じように淀の競馬場で、ターフビジョンで。季節を知る為にも見たし純粋に好きな馬の応援の為にもだ。そして同じように眠った。違うのは「ねえ、今年のダービーはさ」と話しかける相手がKではない事だけだ。
 今年もまたダービーの季節が来た。けれども私は何の思いも持たずにそれを見る。それでいい、それくらいでちょうどいい。

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