愛しているものは、私が触れられないもの、そして永遠であるもの。それ以外のものは、たぶんたいして愛してはいないはずだ。それは愛していると思い込んでいるだけ、ただの盲信、見栄、執着。手ぶらでいるべきよ。転んだ時にすぐに立ち上がれるように。旅の準備は軽ければ軽いほどいい。もしも帰ってくるつもりなら。
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その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり
子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...
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食事をするのが苦手だ。どんな他人と食べてもそう思うのだから、これはもう根本的に苦手で下手なのだと思う。好きな人と食べると美味しい、というのもあまりぴんと来なくて、できれば食事抜きで接したいと思ってきたし、昔は食べなくても呑んでいたからそれで誤魔化すことができた。でももう呑まない...
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『真鶴』(川上弘美 文藝春秋)を読んだ。読むかどうか迷って、結局は読んだ。このひとの本を読むと、自分がうすく剥がれ落ちていくような気がして、不穏な気持ちになる。嵐の直前のような、波の高い海を見ているような、そういう気持ち。波立つ冬の冷たい海を覗いている気持ちもに近い、...
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わたしが通っていた小学校は、母も同じ校舎にいたことがある木造だった。中学年に上がった頃に建替が終わったが、もともと図書室は木造校舎の方にあった。階段の手すりは幾千の小学生が滑り降り、また登る時に使ったために滑らかでうっすら光ってさえいた。二階の踊り場から向かって左にあったと思う。...