2010年3月27日土曜日

夜を越える飛行機(1)

 少し前twitterにて呟いていたものを加筆しました。続きはまた近いうちに。
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ある年の12月24日、私はその頃よく遊んでいた、一つ年上の男の子と向かい合って座っていた。昼下がり、四条通のモスバーガーで。ふと彼が「どこか行こうか」 と呟いた。その日目を覚ましたのは正午頃、空っぽの冷蔵庫に背を向けて部屋を飛び出た先の四条通のモスバーガーで。彼はアイスティーをすすりながら呟いた。

 「行こう、どっか行こう」私は即座に頷いた。私はいつも飽き飽きしていたのだ。この檻のような身体に囚われ続けてあと何年生きれば、私は本当の解放を知るのだろう、などと芝居がかって嘆いていたのだ。そのくせ臆病なものだから何処へも行く勇気はない。ひとところに留まりながらぶつくさと不満を吐く、精神的な老人だった。だから何処でもよかった。この爽やかに明るいモスバーガーの店内から一刻でも早く立ち去れるなら。そそくさと食べ終わったトレイを片付けて、上着をとった。彼はさっきまでペーパーに落書きをしていたペンをかばんに突っ込み(彼は紙とペンががあればいつでも絵を描いていたた)、そのまま京都駅へ向かった。

四条から京都駅への道の途中に住んでいた頃だったので、やっぱり必要だろうと思ってかばんに少しだけ、下着の替えとハンカチを数枚詰めた。それだけでじゅうぶんだった。化粧もいらない、何もいらない、必要なものは身体だけあればいい。本当なら手ぶらで行きたかったけれど、そうも行かないだろうからと持った、最小限の荷物にして手に持つと、かばんは存外重くなっていた。

   京都駅はいつもよりも一段と人で賑わっていたように思う。年の瀬。クリスマスイブ。どこかの誰かが誰かに会いに行くために出ていく駅。どこかの誰かが誰か を迎えるために待つ駅。手に紙袋を幾つも提げた人や大きな荷物を持っている人もいる。場違いなような気もした。普段着で、身軽だったから。

   行き先は本当に決まっていなかった。ふと会話の中で「関空特急はるかはどこに行くんだろうね」と、禅問答のような切れ端が出たのだ。乗るのははるか にしよ う、関空に行こうと何となく話が決まり、次のはるかが来るまでそれなりに時間があったので、立ち食い蕎麦屋で蕎麦をすすった。ぶよぶよと肥大した天ぷらの乗った、油っぽい蕎麦。

   車内で特急券と乗車券を買った。入場するために最低限の切符しか買わなかったので、はるかに乗るには到底金額が足りなかったのだ。車内に入った途端私たちは二手に分かれて席を選ぶ。そして二人とも、別々の席に座った。その方が旅人っぽく見えるからだ。示し合わせたわけではなかったが、それは思ったよりも風通しがよくて、私たちにとってちょうどよい距離だ。歩くときも話すときも喋るときも、私たちには常に距離があった。どんなに身体的に近寄っていても、精神的には大地を分かつ深い川のような距離があり、それが縮むことは全くなかった。けれどそれを淋しく思ったことは殆どない。むしろあれ以上には近寄れないことに私は常に安堵していたのだから。がらがらに空いたはるかの中で、私は金色に染まっていく京都を見送った。殆ど話さなかった。話す必要も感じなかった。車内は少し乾いていて暖かかった。


  普段大阪に行くために乗る阪急梅田線と違って人の少ない車内で、静かに、でも確実になにかへの期待が膨らんでいった。どこかへ行けることが嬉しかった。思 えば私はどこかへ行く途中が一番好きなのだ。目的地よりも。車内販売も、移る景色も、毛羽だったシートも含めて。


   関空特急が終点に滑り込んだときは、短い冬の日はすっかり沈んでいて、昼の暖かさも明るさも遠かった。初めての駅だったのでそれでもちっとも構わなかっ た。関空にはまだタカシマヤがあって、閉店間際のその中をさっとだけ回った。人がいなくて、でも暖房で清潔で明るい店内だった。

  デパートの匂いは、何処でも対して違わないんだなあとその時ふと思った。そして彼は本当につまらなさそうに(実際つまらなかったのだ、私も)ぼうっと店内をぐるっと見回していた。店内の、輪郭だけを眺めているような、ふわふわした眼差しで。私はでもその眼差しが好きだった。柔らかい秋の日差しに似ていたから。

   彼のそのふわふわした視線はでももう行く場所を決めていて、それは関空に来たからには飛行機に乗ることだった。この時間以降でも乗れる国内線を探したら、 どうやら二つあるらしい。一つは女満別、もう一つは鹿児島。こういうときは、行く先は北に決まっている。女満別を選ぶつもりだった。


  でも女満別には行けなかった。理由はよく思い出せないが兎に角、選べなかったのだった。仕方なく鹿児島に行くことにして、チケットを自動チェックイン機で買った。無機質に吐き出さ れたチケットを財布にしまい、その時点で私はもう殆ど飛行機に乗っていた。身体だけが関空にあった。そんな気持ちだった。

  座席は、彼は迷うことなく窓際を選んでいた。私は「飛行機が飛ぶ」という事だけに随分興奮していたので、窓の外の夜の空は見なかった。というか見たのかも知れないが全く記憶にない。スパンコールのような街の灯りだったかもしれない。でもグレーのシートに深々と座っていたことに満足していた。

2010年3月20日土曜日

1月、2月の読書メーターまとめ

2010年2月の読書メーター
読んだ本の数:8冊
読んだページ数:2270ページ

■観光 (ハヤカワepiブック・プラネット)
読了日:02月25日 著者:ラッタウット・ラープチャルーンサップ
http://book.akahoshitakuya.com/b/415208796X

■エル・スール
常に「あなた」である父への語りかける物語。少女アドリアナの息づかいが聞こえてきそうなくらい、静謐で清潔な孤独の物語だった。最初の異性である父に対して抱いているのが、親愛と畏怖の絡み合った独特の感情なので、起こらなかった近親相姦や殉死の匂いも漂っている。アドリアナが行き着いたスールは、夢のように美しい所だったのだろう。いずれ映画も観てみたい。
読了日:02月22日 著者:アデライダ ガルシア=モラレス
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5094264

■「少女神」第9号
クールでキュートでファニー!こんな少女小説はアメリカでないと出てこないだろう。セックスやジェンダー、ドラッグ、ロックなどなど、日本のよいお父様お母様たちから見たら眉をひそめられてしまうだろうから。ただこの短編集の少女たちは、そこそこ裕福な家庭の子供たちだ。だからこそ持てあましている「ほてり」のような物があるのだろう。文字はレインボーグラデーション。いつか消えてしまう美しい若い時代、大人への架け橋としての虹の色を現したのだろうか。
読了日:02月19日 著者:フランチェスカ・リア ブロック
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5030869

■くらやみの速さはどれくらい (海外SFノヴェルズ)
読了日:02月14日 著者:エリザベス ムーン
http://book.akahoshitakuya.com/b/4152086033

■ナイトメア―心の迷路の物語
読了日:02月07日 著者:小倉 千加子
http://book.akahoshitakuya.com/b/4000241613

■家のロマンス
読了日:02月07日 著者:加藤 幸子
http://book.akahoshitakuya.com/b/4103452080

■オール・マイ・ラヴィング
中学生の頃の、身体の中で不機嫌さとぼおっとした熱気で火照ってもてあまし気味になる、あの時の気分を思い出す。ビートルズ全盛期に思春期を過ごした著者の自伝風長編なのだが、ビートルズの面々が顔を出しているわけではない。中学生だからこそ気持ちだけが先走って言葉がついてこない、あの妙な焦りや大人ぶった中に残っている幼さ、またその逆のものがつんつん金平糖のとげみたいに飛び出している。ああ、これは青春小説なんだ。
読了日:02月06日 著者:岩瀬 成子
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/4838970

■レベッカ
読了日:02月01日 著者:ダフネ・デュ・モーリア
http://book.akahoshitakuya.com/b/4105055313


▼読書メーター
http://book.akahoshitakuya.com/


2010年1月の読書メーター
読んだ本の数:10冊
読んだページ数:3283ページ

■サレンダー
案外子どもは丈夫なのだが、それは子どもが世界から落下しないためであって、芯から丈夫なわけではない。アンウェルの孤独、疎外感には思い当たるものがある。囲い込むような孤独はアンウェルを、埋葬布のように包んでいった。誰もが見ていながら知らぬふりをしている内に。アンウェルには悪意がない。それがなお読者に悲しみややりきれなさ、残酷さを突きつけてくるように思う。YAの枠に収まらないハートネットには圧倒されてばかりだ。
読了日:01月30日 著者:ソーニャ ハートネット
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/4735701

■灰色の魂
読了日:01月28日 著者:フィリップ・クローデル
http://book.akahoshitakuya.com/b/4622071142

■新潮クレストブックス初夜 (新潮クレスト・ブックス)
ユーモラスなのに、それだけでは終わらない。最後まで緊張感の続く物語だった。「初夜」に至までのまだるっこさを、若夫婦のあらゆる(現在或いは過去からの)視点がフィナーレまで続く。初夜というのは当事者でなければ、ロマンティックと言うよりグロテスクなのだろうが、読み進むうちに悲しみとおかしみ、二人への愛おしさが募る物語だった。
読了日:01月24日 著者:イアン・マキューアン
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/4644097

■抱擁
侯爵(こうこうはくしだん、のこう)のお屋敷で小間使いとして雇われた年若い「わたし」。最後にある短い一言は!全ては「そこ」に向かうためだった、とはいえ…すごく、淋しくなる終わりだった。
読了日:01月21日 著者:辻原 登
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/4597790

■薔薇密室
飛び抜けて美しいものも一種の畸形だと聞いた。強い光の下にはより濃い影が出来るようなものだと。ある一人の男が創った完結していない物語の本が、あちらやこちらに出現し、登場人物を惑わす。薔薇の溢れる僧院、窓のない部屋、ナチスドイツなどは舞台としても演出のための道具としても、この倒錯的な、隔離された世界の中で綴られる物語の、増幅装置になっていると思う。
読了日:01月18日 著者:皆川 博子
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/4561387

■真鶴
失ったものは二度とは失えない、と思っていた。でも再び失うこともあるのだった。川上さん独特の読点の打ち方、擬態語はよくわからないが浮遊感がある。浮遊感というか、足もとの床が柔らかくなってしまうような、不穏な気持ちがする。柔らかな赤ん坊が成長して内側から硬くなる、という記述がとても好きだ。
読了日:01月14日 著者:川上 弘美
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/4496684

■一期一会・さくらの花 (講談社文芸文庫)
傍観者のように淡々としていて、肉親の死もファンであった俳優の死も、何事もあるがままに受け入れている。悲しみさえも取り込んでしまって、その文章は感傷を洗い張りした着物のよう。文章に立ち上るような色気があることもなく、またその物語が波瀾万丈ドラマチックなものでもない。けれど、それなのに読まずに過ごすのは惜しい気になる。作家自身の視点がとても落ち着いていて、どんな場面でも俳優ぶることもないからだろうか。
読了日:01月10日 著者:網野 菊
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/4437709

■七姫幻想
『戻り川心中』を再読したくなった。後ろ盾なくしては、ただ一本の糸のようなか弱いおんなの物語をミステリーに仕立て上げている。上品で風雅な雰囲気の和歌を用いておんなの情念や時代に振り回されるほかなかった寄る辺の無さなどが描かれていたように思う。全て読み終わると連作とはいえ、どれもかなり濃くリンクしているようだ。不勉強な部分が自分に多く、作品を作者の思惑通り丸ごと堪能したとは言えないかも知れないけれど。最後の五行にどきりとした。
読了日:01月08日 著者:森谷 明子
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/4411627

■カサンドラの城
読了日:01月07日 著者:ドディー スミス
http://book.akahoshitakuya.com/b/4931284930

■完全版 最後のユニコーン
読了日:01月02日 著者:ピーター・S. ビーグル
http://book.akahoshitakuya.com/b/4054037747

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...