2010年5月26日水曜日

Dance In The Turf 競馬場のはなし

東京優駿(とうきょうゆうしゅん)とは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の芝2400mで施行する競馬の重賞競走である。

一般的にはレース名の副称である日本ダービーの名で広く知られており、現在の日本の競馬においてその代名詞とも言える競走である。「競馬の祭典」という呼称もマスコミが広く用いている。

1932 年(昭和7年)にイギリスのクラシック競走であるダービーステークスを範して創設された、日本で最も古くから同一条件で開催されている競走の一つで、毎年5月末頃に開催され、春の皐月賞、秋の菊花賞とともに三冠競走を構成する。

出走資格は3歳の牡馬・牝馬の競走馬だけに与えられ、去勢された馬は出走権がない。

日本の3歳(旧4歳)馬の代表決定戦であり、日本の全てのホースマンが憧れる最高の舞台である。騎手にとっては本競走を制すと晴れてダービージョッキーの仲間入りを果たすことができる。

1973 年(昭和48年)までは日本国内の最高賞金額で、名実ともに日本最大最高の競走だった。[1]現在は、賞金額においては国際競走であるジャパンカップ、全ての馬に出走権のある有馬記念に次ぐ3番目となっている。格付においては、2010年から国際統一規格で最高格となるGIとなる予定である。

wikipedia 東京優駿

 ここ数日何だか落ち着かない、と感じていたのは、ダービー(東京優駿)が近づいてきたからで、何故そのダービーが近づいたごとき(ごとき、というのは語弊がある、何故ならダービーは多くの競馬ファンには心躍る競馬の祭典なのである。G1。グレードワン。毎年一万頭近い仔馬が生まれ、その中で中央競馬で活躍出来る馬はごく限られているのだ。活躍出来る、というのは賞金を稼いでこられる、という意味でもあるし、アイドルのように競馬のイメージホースになる馬になれる、ということでもある。)で心がざわついて仕方がないのか、というと、一人で初めて競馬場に行ったのがダービーだったからだ。

 当時京都市内に住んでいたので東京まで行けるほどの財力も瞬発力もなく、だから私は淀(京都競馬場/京阪電車淀駅は土日だけ人の乗降が驚くほど多くなる不思議な駅だ)のターフビジョンで観たのだけれども、どうしてか行こうという気になったのはその年の五月にKが亡くなったからで、ずっと「競馬場に行ってレース見よう!」と約束めいたことをしていたからだった。

 Kの西日本にあるご実家まで行ってお線香をあげてからは毎日が、どろどろと寝ているのか起きているのかよくわからない、ほとんど酩酊状態だった私をそこまで何とか引き揚げたのは、当時は競馬場だった。

 私とKといつも待ち合わせてごく僅かに競馬を楽しむのはいつも、祇園のWINSだった。
祇園のWINSという場所は少し変わった場所にある。投票券、という正式名称のつく馬券は、大抵百円から買える。どの組み合わせも百円から買っていいのだ。初めて買う人は大抵単勝、複勝という好きな馬一頭ずつ、なおかつ最低金額百円から買える馬券を買ったりする。ターフを駆ける天馬ディープインパクトが走っていた頃、沢山の人がディープインパクトと印字された馬券を買っただろう、あれと同じ買い方。
 でも祇園のWINSでは“しょば”代なのか、連勝単式、連勝複式の投票券を買うときは一組み合わせ千円から、といういっそ清々しいくらいの掛け金を要求される。当然見返りは大きいが、投資分も大きい。人が絶えるのは、全ての競馬番組が終わる夕方五時頃だった。それまではざわざわと人々が入れ替わり立ち替わる。

 それは花見小路をちょいと東に行ったところで、おおよそギャンブルにはそぐわない場所に建っている。すぐ近くには寺もあるような、ひっそりとした静かな場所なのだ。その花見小路の曲がり角には土日におじさんたちがたむろしている小さい喫茶店がある。その喫茶店がひとつの目印でもあった。石畳で町屋づくりの建物が並ぶ小径だ。置屋もあるしとても入れそうにない敷居の高い小料理屋もある。たまにその小径を歩く外国人観光客がいる。その為なのか小さな甘味屋もある。

 そこは、ある種異界であり職業のるつぼめいた場所だった。ふらりと休憩時間にやってきた板前さんが、あの白いうわっぱりを着たままで煙草をくわえながら馬券を買っていたり、夜の街へこれから消えていくような若くて少し派手なお姉さんを連れた羽振りの良さそうなおじさんもいたし、でも一番多かったのはごく普通のおじさんばかり。たまに学生らしい若い人も連れ立っている。
買うレースもなくお金も使いたくなくてたまにぽつんと立っていると「次はな、これ。こいつが来るで。賭けてみ」と笑いながらおじさんに言われてその通りに賭けてみると本当に取れた馬券もあった。払い戻しが終わった頃にふらふら立っていると、また同じおじさんが札束をごそっとジャケットの胸ポケットに押し込んで「どや、来てたやろ」と笑っていた事も。

 もちろん毎週なんてとてもじゃないが行けなかったので大きめのレースのある時くらいだけだったけれど、そこはまるで京都であって京都ではない、一種の別世界だった。私はそこでちょくちょく大きなレースを見た。菊花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、秋の天皇賞、ジャパンカップ、ジャパンカップダート、有馬記念、ジュベナイルフィリーズ、朝日杯。そしていくつもの小さな条件レース。帰る道すがらはいつも、「いつか競馬場に行こう」と二人の話が落ち着く。
 Kは「こんなん(WINS)とは全然ちゃうで」と言う。彼は地方競馬を見た事もあったらしい。こんな白っぽい、建物の中だけの狭い場所ではないのだと力説する。私は競馬場を想像してみた。けれどもどうにも上手く想像出来ない。JRAのサイトを見ても彼の話している「競馬場」とは上手く線で繋がらないのだ。その内に競馬場は私の憧れの場所になった。大抵の行ったことのない場所は、私にとってはいつも憧れの場所になるのだ。

 私には「いつか」で充分だった。果たされない約束がある方が未来が見えるようで、楽しかった。当然もうその恋は行き止りに近づいてはいたのだけれどーーそれでも充分だった。私は「いつか」を待っていた。待ってさえいれば必ず訪れてくれると、まるで王子様がお姫様を迎えに来るーーそして必ずハッピーエンドで閉じられるーー物語を読むように。自分から迎えに行けば良かったのに、「いつか」という響きに酔って甘えてしまった。
 Kが本当の本当にいなくなって、何をしても砂を掴んで投げているような気持ちでいた時に、ふと思い出したのがダービーだった。そうか、ダービーを観に行こうじゃないか。「いつか」を今にすればいいじゃないか、今更だけれど、Kはいないけれど、それでもやっぱり迎えに行こうじゃないか。
 身支度をして久しぶりにまともに外出したら、眩しかった。道路も、車も、信号機も、人の流れも。

 あの日ーー部屋に閉じこもろうと決めた日ーーはまだ春の名残があったのに季節はもう夏が羽化するのを待つばかりだ。蛹の中に閉じ込められるようなねばねばと纏わりつく湿度も、私にとっては懐かしくて新しい。ずっと部屋で泣いて寝て酒を飲んでばかりいた身体には少々辛かったけれど、その日のメインレースであるダービーを競馬場で観ようと淀へ向かった。Kが「こんなんとは全然ちゃうで」と顔を顰めながら話していた競馬場に、その思い出を持っていくのだ。その為には一人で行かなければならないし他言も無用だ。

 ダービーは府中の東京競馬場で行われるので、淀で観る、と言ってもターフビジョンでレースの様を観るだけだ。とは言っても年に数度ある祭典というかファンにとっては季節を知る儀式めいたものなので、人の出はまずまず多い。揉まれるほどではないけれどのんびりしていたら人とぶつかるくらいの人出ではあった。
 レースが始まる前に馬券を少し買って観客席に腰を下ろす。誰もが皆浮き足立っているのがわかる。時折苛立たしげに歩く人もいるが、大抵の人は楽しそうだった。いよいよレースが始まるとなると、ターフビジョンなのにファンファーレに合わせて手拍子も始まるしわあわあとお祭り騒ぎである。がっしゃんというゲートの開く音がして競走馬たちが飛び出す。それを観る人達はみな立ち上がっている(ターフビジョンで流されているだけの映像なのに!)。

 一頭の馬の鼻面がゴール板を横切ったところでレースは終わる。観客たちは景色が揺れるような歓声で皆思い思いに叫ぶ。私が主人公になる物語ならとりあえず主人公である私は涙を流すのだろうが、物語ではないし主人公でもないので涙は全く出なかった。それでよかった。あの場で泣けなくて本当によかった。

 久しぶりに外には出られたのだった。どういう切っ掛けであれ、Kのいない外に。

 これからはどこに行くにも一人で外に出る、それは恐ろしい事ではあった。けれどもよく考えれば私はいつも一人だった。誰といてさえ一人、けれど望んだ事だった。二人でいても、私(たち)は一人一人で歩いていたのだ。それを淋しく思った事はなかったのだから、何も哀しい事など、ない。

 日常は続く。私が生きている間はどんなに土嚢を積んだとしてもその流れには逆らう事も出来ないし、水の流れは止まることはない。
 Kはいない、私はいる。それだけ、ただそれだけ。
 お弔いなんかじゃ決してない。ただ行きたかっただけ。

 珍しくどこにもーー本屋にすらも!ーー寄り道をしないで帰宅して、ベッドに倒れ込んだ頃に緩やかに視界が滲んだが、久しぶりの化粧の所為だと立ち上がり、シャワーをすっかり浴びてから、眠った。何の夢も見ずに真っ暗な眠りの中に落ちた。くしゃくしゃに丸めて放り込んだ馬券の事も、わあわあと我を忘れるほどに叫んでいた人々の事も、盛り上がった筋肉を優雅に使って走る馬たちの事も思い出さずにただ、眠った。
 あれから何度かダービーを見た。同じように淀の競馬場で、ターフビジョンで。季節を知る為にも見たし純粋に好きな馬の応援の為にもだ。そして同じように眠った。違うのは「ねえ、今年のダービーはさ」と話しかける相手がKではない事だけだ。
 今年もまたダービーの季節が来た。けれども私は何の思いも持たずにそれを見る。それでいい、それくらいでちょうどいい。

2010年5月20日木曜日

誕生しない日のおくりもの

 誕生日じゃない日におくりものを貰うのはとても嬉しい。貰う立場じゃなくて贈る立場なのだけれど。何故なら誕生日は一日しかないからだ。ハンプティー・ダンプティーがアリスに紙に書かせた上に計算させたことによると。 


いろいろーーあの人(たち)に会ったこととか、あの人(たち)と別れたこととか、自分を蔑んだこととか、卑しめたこととか、そういうことーー後悔することもあるけれど、それでもやっぱり、今日この日に私がちゃんと生きていたということは、それなりによかったのだと思う。取り立てて何もないいちにちももうすぐ終わる。誕生しない日のおくりものは大体いつも目の前に溢れている。


それを腕一杯に抱えていればいいのだよ。溢れんばかりのミモザの花束を抱きしめるように。なあ、おい?

2010年5月15日土曜日

夜を越える飛行機(4)

     

夜を越える飛行機(1)
夜を越える飛行機(2)
夜を越える飛行機(3)

次の日に何をするか、飛行機に飛び乗ったときは全く考えていなかった。このまま帰ってしまってもいいとも思っていたけれど、それではなんだかつまらない気がしていたので、チェックアウトしてから市内へ繰り出した。路面電車が通っていて、街はクリスマスイブの興奮を残しながら少しずつ覚め始めたようで、けれども年末だということで人出は多い。揉まれながらその日に泊まる宿を確保して、車を借りた。海の方へ行こうと決めたからだ。

枕崎の郵便局で少しお金をおろしたのを覚えている。とても良く晴れていて暖かい日で、道ばたに猫がいたからだ。でっぷりと太ったグレイッシュな猫で、ふてぶてしい目つきをしていたけれど人を怯えない猫。今思えばあの猫は証人のようなものだ。私が確かに枕崎にいたという。そしてその日は彼もまた枕崎にいたのだという。

海は青くて広く、砂浜は白い。沢山の漂着物はほとんどがハングルで読めもしない。でもそれらを飽きずに彼は丹念に検分していた。持って帰るんだ、と言って気に入ったものを丁寧に海水で濯いで、きっちり水を切って。とても嬉しそうで、だからその姿に私は水を差せなかった。彼が持って帰るものは私の領分ではないのだ。彼が今楽しんでいるのも、同じように私の領分ではない。逆に言えば私がぼうっと海を眺めているのだって、私の領分なのだ。きちんとお互いの間には線があるようで、それを淋しく思ったことは特になかったのだから。

小一時間も遊べば段々身体に疲労が溜まる。そうでなくても私たちは疲れやすかった。とにかく体力がない。二人とも引きこもっているのと変わらないので、筋力も随分落ちていたのだと思う。切り上げて車に戻る頃は足取りもそれほど軽くはない。ぽんと彼が後部座席に放り込んだポリ袋には、ハングルの並んだコーラのペットボトルが入っていた。私はそのペットボトルに嫉妬した。何故かはもうわからないけれど。

その後の記憶は正直なところ曖昧で、確か鹿児島市内に戻ってから維新志士の記念館のような所へ行ったし、ビジネスホテルに入る前に買い込んだ、10%オフの甘ったるいクリスマスケーキも二人でせっせと食べたはずなのに、うっすらとしかもう思い出せない。確かに砂糖で出来たサンタクロースを押しつけ合ったのにーーそしてそれはざりざりしていて、ちっともおいしくなかったのにーーどんなごはんを食べたか、どんな道を通って鹿児島市内に戻ってきたのか、帰りの飛行機のことも、関空特急のことも。粉々になったビスケットのように、再び一つの形にはならないまま。無意識に封印しているのか本当に風化させてしまったのかはわからないが、消えているのだ。

それでもあれは、私の大冒険だった。一人では決して乗らない飛行機に乗って、夜を越えた。それまで睨み付けるように過ごしていた夜を、軽々と飛び越えたのだ。

次の年の四月に私が退院してから、彼とはずっと連絡が取れなかった。嫌な考えが胸の内に浮かび上がり、それを何度も押し込める。けれどもやはり、浮かび上がってくる。沈ませてもぼかり。目を覆ってもぼかり。そうしている内に、五月。彼は亡くなった。やっぱり一人で、行ってしまっていた。
軽々とはわからないが、本当に飛び越えてしまったのは、彼の方だった。

彼の実家に何とか連絡を取って新幹線に飛び乗ったとき、とてもおかしかった。その不在が。「私、今からあなたにお線香をあげに行くんですって」もし彼がいたらふん、ともへん、ともつかない返事をしただろう。退屈そうに、新幹線のシートに深々と座って。そしてしばらくしたら「ヤニ吸ってこよーっと。一緒に行く?」と怠そうに言っただろう。でも彼は現れない。いくら待っても、新幹線の中にも駅にもタクシー乗り場にもバス停にも。

彼のお姉さんが、「鹿児島に行ったときのことを、ずっと楽しげに話していてね。チケットも大事にとってあって、財布に入れていたの」と話してくれたとき、私はやっと泣いた。後にも先にもあんなに泣いたことはなかったくらい、泣いた。目玉がこぼれ落ちてしまわないのが不思議だった。いないのならいないと言えばいいのに、それすら言ってくれない。腹を立て、腹を立てる自分が醜くて、そしてまたまざまざと不在と対面して、泣き続けるしか出来なかったのだ。泣き疲れて眠って、泣きながら起きる日々を過ごし、けれどそれも半月ほどする頃には涙がもう出なかった。それでも顔を枕に押しつけて呻き続けた。季節だけが私の周りを過ぎていく。やけのやんぱちで過ごす日も、秋が来る頃には幾分収まって、また私は一人で過ごす冬を迎えた。二度と越えられない夜を私は何度越えようと思っただろう。私には越えられなかった。越えられないことがみっともなくてやりきれなくて、それでも結局越えられないままここにいる。


そしてまた今年も五月が巡ってきた。彼が飛び越えた五月。私が越えられなかった五月。緑がるいるいと盛んに色づいている五月。命そのものが萌える五月。

夜を越える飛行機(3)

  
夜を越える飛行機(1)
夜を越える飛行機(2)


バスに揺られている内に、だんだん街灯のある間隔が開き始め、コンビニエンスストアの白い灯りも減っていく。闇へ向かって走るバスに乗った私と、他に乗っているのは彼と、バスを悠々と操る運転手以外いない。この先にあるものはこの世ではないのかもしれない。いや、もう既にこの世ではないのだ……。自分の顔を鏡でぼんやりと眺めていると次第に自分の顔ではないのではないか?と思うような奇妙な浮遊感。それはまったく治まらずむしろバスが進むごとに加速した。自分が、座席からも浮き始めているような、そして浮いている自分を後ろから見つめているような、私が私から剥がれていくような。

別の座席に座っている彼はただじっと座っていて、運転手もただ運転席に着席したままだ。はやくこの夢から覚めたいと何度か思った。窓の隙間からすっと入ってくるよくわからない匂いが不安さを掻きたてる。なんだ、この匂いは……と思い窓の外を目をこらしてみる。周りに住宅は殆ど無くなり、ぽつんぽつんと大きめの建物が見えるばかりだ。

なんだ、黄泉だ。ヨモツヒラサカなんだ。もう心配はないんじゃないか。
黄泉なら黄泉でいいじゃないか。乗り合いバスで行けるなんて、なんという気楽さ!

ふうと一息ついてシートに背中をもたげる。ふかりとした臙脂のシートは柔らかく存外心地がいい。もうこのままここで寝てしまおうか、と考え始めたところでバスは停まった。自分の間の悪さは今に始まった事ではないが、こういう妙な間の悪さについては、私は多分ピカイチだ。ここが終点らしい。白い大きな建物は総合病院めいていて、夜だと存在感が増している。

二人ともが降りたのを確認してからまた、バスは発車した。空っぽのバスはまた戻るのだ、黄泉から。

れっきとしたホテルに宿泊をお願いすると、預かり金を要求されはしたが泊めてくれるという。地下に硫黄の温泉浴場があり、まだ開いているし夕食は今からでも摂れるとサービスマンが伝えてくれたので、軽いものを腹に収めてから、一旦部屋に入って風呂の用意をした。

硫黄の匂いがつんと鼻の奥をつつく。イザナギがイザナミを追いかけた場所にも、こんな匂いがたちこめていたのだろうか?次第に硫黄の匂いに鼻も慣れ、湯に身体を沈ませる頃にはうっとりとする匂いでもあった。私以外湯を使っている人はいない。壁一つ越えた向こうでは彼がいただろうが、全くの一人で深く深く息を吸った。硫黄の匂いが内臓にまで浸みていけるように。
 
浴場の側には温泉に付きものである遊技場があり、アイスクリームの自動販売機もある。もちろん卓球台もあった。風呂から上がってからそれで一通り遊び、アイスクリームを食べた。ハーゲンダッツで割増料金だったけれど、割増分は美味しかった。黄泉ではなかった。黄泉だったらアイスクリームはあってもハーゲンダッツまでは置いていないはずだから。

大体どれにも飽き始めた頃がちょうど同じだったので、部屋に戻って軽くお酒を飲んでから清潔なベッドで眠ることにした。仲の良い双子のように、二人ともが律儀にぷちぷちと銀色のシートから数粒の薬を出して、ペットボトルの水で流し込んで。別々のベッドできちんと並んで。眠る前に見た彼の瞳にはうっすらと後悔が滲んでいるようだった。けれども彼からは私の瞳に浮かんだ後悔を見ただろう。でも私たちは何も言わなかった。わ かっていたから口で言う必要はなかった。

2010年5月2日日曜日

4月の読書メーターまとめ

 2010年4月の読書メーター
読んだ本の数:22冊
読んだページ数:6764ページ

■ブロデックの報告書
異質なものを嫌うのは人間だけでなく生物の本能なのだろうが、それを存分に操ったのは誰だったのか。小さな村に起きた「よそ者の到来」はくすぶり続ける戦渦に小さな火花を落とし、そして村人はその火を鞴で吹くように大きくした。主人公は村の「浄化」を報告書にまとめるようにと命令される。そして「浄化」の真実を並行して書き始める。知っている者がいなくなればその出来事はなかったことになるか?この「報告書」が消滅すれば無かったことに出来るのか?そうではない、それは事実としてあったのだという主人公の叫び声が聞こえるようだ。それはそれは人が人として、「異質」を怖れ る内はいつでも、何度でも。
読了日:04月29日 著者:フィリップ・クローデル
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5910637

■高慢と偏見〔新装版〕 (河出文庫)
読了日:04月29日 著者:ジェイン・オースティン
http://book.akahoshitakuya.com/b/4309462642

■エミリ・ディキンスン家のネズミ
読了日:04月26日 著者:エリザベス・スパイアーズ
http://book.akahoshitakuya.com/b/4622072661

■スノウ・ティアーズ
梨屋アリエ作品では腑に落ちる方だと思う。それぞれの章で起きる主人公・君枝にとっての不可思議な体験も、自分自身の島にたどり着くためのクロールだったようだ。
読了日:04月25日 著者:梨屋 アリエ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5853046

■再起 (ハヤカワ・ミステリ文庫 フ 1-41)
読了日:04月22日 著者:ディック フランシス
http://book.akahoshitakuya.com/b/4150707413

■左岸
もの凄く久しぶりに受けた、江國香織の洗礼。言葉はどれも柔らかく、振り返るとその言葉以外は当てはまらないと思わせる筆力だ。茉莉は『神様のボート』と同じように舟に乗ってしまったのだろう。流されやすいところ、流れに乗って何処までも行くところ、どのような波にも揺れて、でも決して転覆しないところ。冗長な部分もあるので読んでいると中だるみするかも、とは思った。私の中ではもう茉莉も九も完結したので、『右岸』は読めない。
読了日:04月21日 著者:江國 香織
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5811833

■ポポイ (新潮文庫)
なんという毒々しい少女の夢!愛さなくても異性の首を飼うという、奇妙だが美しく、時に現れるエロティック加減にくらくらした。政界の元老(と言われている)祖父の前に現れて切腹、介錯された少年の首を孫娘が預かり、育てる。これが昭和に書かれた物語なのかとびっくりする。
読了日:04月20日 著者:倉橋 由美子
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5796110

■ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)
読了日:04月19日 著者:村上 春樹
http://book.akahoshitakuya.com/b/410100143X

■ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)
読了日:04月18日 著者:村上 春樹
http://book.akahoshitakuya.com/b/4101001421

■五月の霜 (lettres)
読了日:04月18日 著者:アントニア・ホワイト
http://book.akahoshitakuya.com/b/4622073307

■ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)
読了日:04月17日 著者:村上 春樹
http://book.akahoshitakuya.com/b/4101001413

■13歳の沈黙 (カニグズバーグ作品集 9)
再読
読了日:04月15日 著者:E.L. カニグズバーグ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5743607

■バンビ―森の生活の物語 (岩波少年文庫 (2078))
森に生きるノロジカを描いた物語。かわいらしさとは無縁の、厳しい「生の掟」をバンビは知る。生きると言うこと、愛すると言うこと、慈しむと言うこと、相容れないものへの憐れみなど、バンビは森の王である父から教えられる。ディズニーが描いた明るく音に溢れた物語も楽しいが、この物語は楽しいだけではない、生き物の命の賛歌だ。
読了日:04月12日 著者:ザルテン
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5710771

■悦楽の園
再読・後ほど
読了日:04月10日 著者:木地 雅映子
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5691526

■モモちゃんとアカネちゃんの本(5)アカネちゃんとお客さんのパパ (児童文学創作シリーズ)
読了日:04月09日 著者:松谷 みよ子,伊勢 英子
http://book.akahoshitakuya.com/b/4061192353

■モモちゃんとアカネちゃんの本(4)ちいさいアカネちゃん (児童文学創作シリーズ)
読了日:04月09日 著者:松谷 みよ子
http://book.akahoshitakuya.com/b/4061192345

■モモちゃんとアカネちゃんの本(3)モモちゃんとアカネちゃん (児童文学創作シリーズ)
読了日:04月09日 著者:松谷 みよ子
http://book.akahoshitakuya.com/b/4061192337

■モモちゃんとアカネちゃんの本(2)モモちゃんとプー (児童文学創作シリーズ)
読了日:04月09日 著者:松谷 みよ子
http://book.akahoshitakuya.com/b/4061192329

■モモちゃんとアカネちゃんの本(1)ちいさいモモちゃん (児童文学創作シリーズ)
読了日:04月09日 著者:松谷 みよ子
http://book.akahoshitakuya.com/b/4061192310

■IN
読了日:04月07日 著者:桐野 夏生
http://book.akahoshitakuya.com/b/4087712982

■ナニカアル
物語は書かれた時点で、作家のファンタジーになる。ばらまかれたフィクション。私たちが知っている、共通認識としてある「林芙美子」を描きながら、実際のそれは愛の行き止まりだ。桐野夏生の小説に出てくる女性は大概タフであるが、時代性もあり芙美子は信じられないほどタフだ。そして蓮っ葉。どことなく漂う「いつか訪れる死」への諦め、新しい命と家庭への優しい眼差しを内包した女性の、なんと強いことよ!
読了日:04月06日 著者:桐野 夏生
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5645660

▼読書メーター
http://book.akahoshitakuya.com/

今月は桐野夏生二冊を連続して読んだので、ちょっとくらくらした。モモちゃんの最終巻は、そろそろ本当に手に入れたい。おきゃくさんになったおおかみのパパと、モモちゃんとアカネちゃんとママたち三人に、どのような物語の終わりがあるのか、自分の眼でも確かめたい。
今更ながら『高慢と偏見』を読んだのだが、もっと早くに読めば良かったと嬉しい後悔ばかり!
『悦楽の園』は発達障害の子どもが出てくる。それについてはもっと知りたいこともあるので、なんとか知識を増やしてからまた読もうと思っている。

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...