2011年12月18日日曜日

星柄の丸天井

 振り向いてばかりいる。子供の手を引いて保育所に向かう時。子供を保育士に託して仕事場へ向かう時。手を振り払って歩きたがった子供を歩かせた時。離乳食を台所で作っていた時。いつもそこには自分自身の歩みで揺れる、柔らかな髪の毛があった。湿った手のひら、うっすら膜の張った、みずいろのひとみ。そのみずいろはいつか濁るだろうか。

 あの子は私の前を歩くようになるだろう、そうして私を振り向く事もあるだろう(多分、或いは私の希望として)。夢はなく、けれど「昨日」それ自身はあった。昨日の顔を真正面から見つめた。昨日の顔はもう闇に塗れていて、どんな表情をしているのかわからない。「昨日」は「今日」に乗っ取られ、「今日」は「明日」に喰われていく。ランゴリアーズのように、振り向いても無、前を見ても無。

 うたごえ、諦め、報告、怒り、それら沢山の言動や感情はまた、子供の後ろをついて歩く。いつかは振り向いて気がつくだろう彼等を、あの子はいつ認知するだろう。私はそれらはマーレイの亡霊がつけていた太い鎖のようなものだと思っている。同じように子供の事もまた。どこにも行かない代わりに鎖を得たというのに、それでもまだ遠くを憧れて恋ていつか行けるものだと阿呆のように信じて……。けれども振り向いてばかりいる、鎖の音を半ば心地よく聞きながら。

 「今日」の内に「昨日」を振り向いてみても、「昨日」にも「そのまた昨日」にも、私は引っ掻き疵一つつけられなかった。その頬を撫でる事もなかった。「昨日」を見た私と同じように、私は誰かに見つけてほしかったし、また私が持つ何かを誰かに見つけてもらいたかった。虫のいい話……。こんな風に鎖をつけている女を引き揚げるには、神様くらいでなくちゃならないだろうにね?

 生者ばかりが歩き回っているここはとても怖い場所だ、そこで流されずに立っている為には、狂気を持っていなければ、きっと、のみ込まれていく。半分はでも、のみ込まれてしまいたいとも思う。この巻いた鎖とともに私も怖さと溶け合えば、何も怖くないはずだからだ。スノードームの外側は安全なのと同じで。

 安息日は暮れた。私はのみ込まれずにまた「昨日」を振り返って見るだろう。

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...