2022年9月3日土曜日

青銅の魔人

 食事をするのが苦手だ。どんな他人と食べてもそう思うのだから、これはもう根本的に苦手で下手なのだと思う。好きな人と食べると美味しい、というのもあまりぴんと来なくて、できれば食事抜きで接したいと思ってきたし、昔は食べなくても呑んでいたからそれで誤魔化すことができた。でももう呑まないのでその手段も使えない。特に地方に住むと交通手段が車に限られてくるので(家の一番近くにあるバス停は行き先が二つあるが、どちらも日に三本、太陽が沈むよりずっと前に最終バスが出て行く)、呑めば代行が必要になる。代行を頼み到着するのを待って鍵を託す。それが果てしなく面倒だと思っているし、面倒だと思う回数が増えたこともあり、呑まなくなった。

 お皿に料理が盛られてサーブされるその時まで、わたしは食べる気満々でいる。食感と変化に弱いので既知の味だと確信できる、安心なもの・三分の二は食べられるものを選ぶようにしているが、目の前に皿が置かれた瞬間にぐったりしてしまう、これを食べなければならない、ということに。

 「食事を残すのはいけないこと」「頑張って全部食べるべきもの」という圧力は小学一年生の最初の給食の日、いきなりわたしを押しつぶした。不意打ちにも近かった。カトリック系幼稚園に通っていた頃の給食はパンとミルクだけで、食べられなくても先生は一つも怒らなかったのに、学校に通い始めたらいきなりナフキンの上に何種類も器が並び、それぞれにたっぷりと盛られた給食は、どんなことがあっても食べきるべきものと決められていた。食べられないでぐずぐずしていると教師は絶対に食べさせようとでも思っているのか躍起になって、いつまでも片付けさせない。廊下や教室では無理やり詰め込んでえずいている子もいたのに、それは教師には見えないらしい。わたしは給食にまつわる何もかもが嫌だった。食べられないと申告してもたっぷりと盛り付け、残せば「アフリカでは食べられないで死んでいく子供だっている」と子供の罪悪感を最大限に利用した。毎日飽きずに掃除時間になっても食器を下げに行かせない教師と、絶対に食べたくないわたしとの我慢比べ。周りからは「食べさえすればいいのに」という無言の圧力、それを六年。苦手になるには十分な時間だと思う。

 その後わたしは急に食べられなくなり、長い摂食障害との付き合いが始まった。今でもそれは形を変えてわたしの「食卓」に影を落としている。人生のほとんどの食事の時間を、わたしは「恐ろしくて気分が悪くなる時間」として生きている。安心して食事ができる、または安心した相手と食事ができるなんて、夢物語だと今でも思うし、そんな時間は多分わたしには来ないかもしれない。稀にはあるけれど、それはまだ日常ではなく非日常なものとして別の思い出になっている。食べることは生きること。わたしは少し、生きることから遠ざかっている。だから、自分で料理をして楽しく食べている人のことが好きだ。その人たちは生きること(食べること)の楽しみを知っている。そして時々それはわたしにもあり得るかもしれないと希望も湧くからだ。わたしも生きてみたいのだ。

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...