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2024年5月18日土曜日

滅びの王国

『すえっこOちゃん』という本を借りた。Oちゃんのほんとうの名前はオフェリアだけど、いつもOちゃんと呼ばれている。スウェーデンのある町に住んでいる七人きょうだいの末っ子で今は五歳。年上のきょうだいがいるのでおませさんだそう。奔放ではちゃめちゃだけれど、OちゃんにはOちゃんの理屈がしっかりあって行動している。わたしは長女だからOちゃんの行動が少しうらやましく、同時にOちゃんがなにを思いついてなにをするのかわくわくしている。


この本を読んでいてなんとなく昔のことを考えていた。ぼんやりとした記憶のなかで思い出したことがある。子供のころ、電気を消された部屋では字が見えなかったから、まだ起きているのがわかると怒られるから、でも続きが読みたくて布団の中で懐中電灯をつけて読み続けていた。気まぐれに与えられた本でも、本であれば、文字が読めればそれでよかった。


何度も怒られて、それでも何度も繰り返した。ベッドと机だけが自分のもので父の箪笥がドンと置いてある部屋を与えられてからもそれは続いた。他人の箪笥が置いてあるということは、他人が自由に出入りできるということだ。わたしはいつ入られるかひやひやしながら(だってノックもされないのよ!)、家鳴りにびくびくしながらベッドについている小さいあかりで本を読み続けた。


毎日峠道を超えて学校に行っていたので、登下校の時間がほんとうに無駄だと思っていた。ひとりで帰るならわたしに戻る時間ができてそれはよかったのだけれど、そうでないときはずっと「わたし」でいなきゃならない。その分、家で「わたし」からわたしに戻る時間が必要だったから、本を読む時間が足りなかった。


寝る時間が惜しかったし、寝るのが怖かった。寝つきの悪いこどもだったしそれも特性だったのだと思う。ブツっと途切れるようにしか眠りにつけなかったから、読み続けて体力の限界がきて始めて眠りに落ちた。「電気つけっぱなし!」と毎朝怒られたが、それでもやめられなかった。別の人生が面白すぎて。


でも今よりもっと、純粋に別の人生を生きる(それはわたしにとって本を、物語を読むことだった。映画がそうだったひともいるだろうし、創作がそうだったひともいるだろう)ことが楽しかった。一生わたしではない別の人生は歩めないと知る由もなかったころ、世界は小さくて、全てがわたしの手のひらの上にあった。


子供のころって(わたしは田舎生まれ田舎育ちだし、自由にどこにも行けなかったから)世界が本当に小さくて、物語と違って、なんてつまんないんだろう!とよく思っていた。だからこそわたしの王国があったわけだけれど(もちろん今もある、年齢と投薬でずいぶんと小さい国になったとはいえ)、今でもわくわくする本があるから、まだこの王国は大丈夫かもしれない。

2023年2月7日火曜日

おとなのためのやさしい童話

風呂でブラッドベリの『歌おう、感電するほどの喜びを!』を少しずつ読んでいる。


ブラッドベリは本屋の平台に──多分四条のジュンク堂か三条のブックファーストか──あった新潮文庫の『ふたりがここにいる不思議』が初めてだ。それははっきり覚えている。あの時はまだ三十路にはまだ遠く、でも二十歳はとうに過ぎていた。その後「再会」したのは、確かチョコレートについてのアンソロジーの中ではなかったか。そのアンソロジーの中では「板チョコ一枚おみやげです!」が紹介されていたはずだ。青年と神父が告解室で交わす会話で物語が進む。板チョコはその物語の中で第三の登場人物のような位置にある(と、思っている)。二度も偶然があればそれは完璧な出会いなのだと思う。運命のようなもので逃れられるはずはない。


以来ことあるごとに、例えば十月には『10月はたそがれの国』を読むように、繰り返し出会う対象ではあったが、それが心から待ち遠しくてしていることなのか習慣としてそうしているのか、だんだんと曖昧になってしまっていた。それでも図書館の書架に未読のブラッドベリがあれば借りるし文庫本があればやはり買って読まずにはいられない、心のどこか一部分をキュ、と細い糸で縛られているかのように、ふらふらとその糸のようなものを辿らずにはいられないのだった。


最近新しく買ったそれはサンリオSF文庫を全て紹介していたブックリストに紹介されていたもので、児童文学作家で翻訳家でもある故・今江祥智が翻訳したこともあるという。知っている名前がふたつもある!と小躍りしたがとうの今江氏翻訳のものが他の自治体の図書館を含め見つけられず、別の訳者のもの。けれど初めてブラッドベリの短編集を開いた時のような、ささやかだが確かに何かのスイッチが押されたような、遠くで扉が開いたような、「音がした」のだった。


ところで蛇足のように付け加えておくと、表題作「歌おう、感電するほどの喜びを!」には母を亡くした三兄妹の家に、ロボット(つまりAIが搭載されているのだろうか?)のおばあさんがやって来る。なんでも出来て遊びも上手いが主人公の少年の妹はなかなかおはあさんを受け入れることができない。ロボットのおばあさんと人間である彼らの交流を時におかしく、時にノスタルジーをふんだんに織り込んだ筆致で描いている。

2011年1月28日金曜日

司るもの

 嘔吐されたような散らばり方をした本、本、本。その中に私はいる。私は、本棚に対して無限を期待している。だから本棚に本を収納出来なくなると、どうして出来ないのか、しばし悩む。あちらを抜きこちらを詰めるとそちらはむりむりと押し出されるようになる。隙間を作るのは嫌いなので、パズルのように組み替える。しかし入らない。入らないのでその辺に積む。小さい塔が幾つも部屋の中に乱立し、その内私、あるいは子供が躓いて崩れる。そしてまた、積む。それを繰り返しているうちにだんだん、気がつく。ああ、本棚にはもう入らないんだな。

 引っ越し前夜——あれは大学を卒業する日——簡易な本棚からそのまま抜き出して段ボールに詰め込めば良いのに、詰められなくなって、本棚から全ての本を抜き出して、その真ん中に座って夜明けを待った。同じ事を二回、繰り返した。本のまっただ中にいる。それはそれで満足する事だった。手伝いにきてくれた人は唖然としていた。

 綺麗だった。本棚から吐き出された全ての本が、表紙を上に向けていて、鮮やかで。するすると撫でながらこれはあの本屋で買った本、これはどこの古本屋で見つけて小躍りした本、あれは、これは、これも……と思い出に耽るのは気持ちのよい事だった。思い出せる限りのそれらの思い出を、一晩という短い時間ではあったけれど、並べて虫干ししたようなものだ。出し切る、と言う事は良い意味でしかない。

 その本も、今は随分入れ替わった。離れていった本の行方はわからない。上手くすれば誰かの本棚に在るか、古本屋の本棚に、値段を付けられて並んでいるか。下手をすればもう別の紙に変わっているか、それとも灰になっているか。握り続けた本だけが残っている。どうやっても落とせない、身体につく最低限の肉のように、骨にぴたりとはり付いている(と思わなければ、やっていけない)。

 真夜中の本棚は呼吸する。それを知っているのは、その本棚を支配しているつもりの私だけ。心地よいことだ。司書にはなれなかったが、自分の本棚を持ち、その本棚を私の法則通りに管理している、という事は。私の要求で私は本棚から数冊本を抜く。そして私が読む。読み終わったら私が本を元に戻す。整頓する。

 私という図書室の司書は私。私の本棚の前で、私は何度も司書になる。

2011年1月11日火曜日

十二月の読書まとめ

いつか読んだ本の記憶
2010年12月
アイテム数:9
春に葬られた光 (ヴィレッジブックス)
ローラ カジシュキー
読了日:12月02日

ラブリー・ボーン
アリス・シーボルド
読了日:12月03日

海と毒薬 (新潮文庫)
遠藤 周作
読了日:12月08日

抱擁、あるいはライスには塩を
江國 香織
読了日:12月11日

この世は二人組ではできあがらない
山崎 ナオコーラ
読了日:12月13日

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
ドストエフスキー
読了日:12月17日

アドヴェント・カレンダー―24日間の不思議な旅
ヨースタイン ゴルデル
読了日:12月24日

幾度目かの最期 (講談社文芸文庫)
久坂 葉子
読了日:12月24日

ノエルカ
マウゴジャタ ムシェロヴィチ
読了日:12月31日

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十二月の終わり、全くの終わりの日に読み終わった『ノエルカ』、とても良かった!それと『アドヴェント・カレンダー』。クリスマスの日を、キリスト教圏の人たちが大事にしていることが、とてもよく分る。『抱擁、あるいはライスには塩を』は、いずれまた別のエントリで触れたい。私の中の江國香織作品で久しぶりに良い読後感だった(彼女の新刊を買ったのは久しぶりのこと)。血の繋がりと言う不可思議ででもおかしみのある物語だ。

2010年12月28日火曜日

世界と私の二人組

 前提が必要だとすれば、山崎ナオコーラとは同世代である、という事、ほんの少し饒舌に、作家の言いたい事を直接主人公が代弁しているような部分が、物語の中で見られるという事。所謂ロストジェネレーション世代特有の、感情の揺られ方というか醒めかけた視線というか、そういうのは同世代たちが広い意味で共有していると思う。彼女の筆の運び方は、じっとりウェット過ぎもしないし、過剰に元気でもない。何かを熱く燃え上がらせる事よりも、自分の内側にまず、ぽつぽつと灯を点している方が、大事。

 『この世は二人組ではできあがらない』を読み終わった時に思ったのが、人と別れた時って信じられないほどの開放感を味わったっけ、という事だった。二人或いはそれ以上の、恋人または友人と過ごす時間が決して嫌いなわけじゃないのだが、「じゃあね、またね」と手を振り合った瞬間に、ゆるゆるとした何かで巻かれていたのが解ける、あの感覚。巻きついた何かは、トイレットペーパーのようにすぐ溶けるのだけれど、同じ空間同じ時間を過ごす間は溶かせない。ぺたりと濡れて身体中に貼り付いている。

 でもその巻きついたものの残りをひっぱりながら帰宅するのは、例えば好きな人の吸っていた煙草の煙に燻されたような感じで、心地よかったりもする。ふと着ていた服に移っていて、それに後から気がつくというところが、心地よいのだ。存在しているのに不在。会わない時間の方が、会っている間よりもより濃く相手を思うことが出来るから、その不在がより愛おしい。なので会っている最中ももちろん素晴らしい時間なのだけれど、その後余韻に浸りながら帰り道を歩いている時間も、素晴らしく気分が良い。

 社会に属する大抵の女性と男性は、ある程度の年齢に達したら結婚して新しい、ごく小さい家庭を持つべきだと言われていた時代(経済的な事はさておき、特に昭和の時代の話)に比べると、社会というよりも、世界の中で生きるということにおいては、今の時代の方が、温度の調節が出来るプールで泳いでいるような気がしてくる。結婚していない事、恋人がいない事を、正当化しても負け惜しみには聞こえにくくなった。私の母と同世代の女性たちは、経済観念的に自由が許され始めた頃だったけれど、学歴よりも、結婚している/していない事が、社会の中にいて振り分ける時に使われる物差しでもあった。

 誰かと生きるというのではなく、世界の中で生きるという緩い広がりというのも、良いと思う。二人組、詰まる所夫婦、恋人同士、親友同士でのみ構成される世界は、色鮮やかで美しい。けれど熱帯植物の温室のように息苦しさもある。それは多分、向きと不向きであって、しないからおかしいというものでもない。

 一人でいる、と言ってもあくまで「みんなの中で」という前提があっての事だ。山崎ナオコーラという人は世界の流れの中できちんと同じ水であろうとしているようで、良いなと思う。ちゃんと流れを探そうとしているというところも。

2010年12月1日水曜日

十一月の読書まとめ

 読んだ数についてはどうも思わないが、二冊、十一月にまつわる物語を再読出来たので良い月だった。一冊は『十一月の扉』、もう一冊は『ムーミン谷の十一月』。長々と読みかけては放置を繰り返したデュラスの『破壊しに、と彼女は言う』もやっと読めた。所々クククと笑いながら、しんみりとしながら読んだのは『わたしは英国王に給仕した』。私好みの、ちょっとしたロマンスありマジックリアリズムあり、そして三組の(一組は婆様、一組は中年、もう一組は少女)二人姉妹という憧れる血縁が出てきて、読み終わる時に軽やかな淋しさ——それは例えば旅行先で出会った気持ちの良い旅人のような、多分もう二度と会えないとわかっている相手へ「またいつか」と言って別れるような——を残していったのが『オーウェンズ家の魔女姉妹』。ふせんだらけで本の天からにょきにょきとキノコが生えているようになってしまったのが『昼の家、夜の家』。ティーン特有のひりひりした焦燥、疾走感で一気に読み終えてしまったのが『マチルダの小さな宇宙』。阿呆のように次へ次へとページを捲ってしまったのがフエンテス『アウラ・純な魂』、指先から首筋へさむけがつうっと這い上がった。爽やかな悪夢、という読み心地だったのは『ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語』。この作家の未翻訳がどんどん日本語に翻訳されますように!

いつか読んだ本の記憶
2010年11月
アイテム数:17
ローカル・ガールズ
アリス・ホフマン
読了日:11月05日

舞い落ちる村
谷崎 由依
読了日:11月07日

静子の日常
井上 荒野
読了日:11月07日

海炭市叙景 (小学館文庫)
佐藤 泰志
読了日:11月14日

昼の家、夜の家 (エクス・リブリス)
オルガ トカルチュク
読了日:11月16日

マチルダの小さな宇宙
ヴィクター ロダート,Victor Lodato
読了日:11月16日

市立第二中学校2年C組
椰月 美智子
読了日:11月18日

記憶の小瓶
高楼 方子
読了日:11月18日

わたしが棄てた女 (講談社文庫 え 1-4)
遠藤 周作
読了日:11月22日

ムーミン谷の十一月 (講談社文庫 や 16-8)
トーベ・ヤンソン
読了日:11月24日

フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)
カルロス フエンテス
読了日:11月25日

黒いハンカチ (創元推理文庫)
小沼 丹
読了日:11月25日

破壊しに、と彼女は言う (河出文庫)
マルグリット デュラス
読了日:11月27日

失われた絵 (1981年) (河出文庫)
高橋 たか子
読了日:11月28日

オーウェンズ家の魔女姉妹
アリス・ホフマン
読了日:11月30日

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2010年11月1日月曜日

十月の読書まとめ

 十月のうちに『10月はたそがれの国』ほか、ブラッドベリを再読しようと思っていたが、思ったよりも足早に、十月が裾を翻して行ってしまった。

いつか読んだ本の記憶
2010年10月
アイテム数:11
リオノーラの肖像 (文春文庫)
ロバート ゴダード
読了日:10月01日

バベットの晩餐会
イサク ディーネセン
読了日:10月03日

通話 (EXLIBRIS)
ロベルト ボラーニョ
読了日:10月06日

駱駝はまだ眠っている
砂岸 あろ
読了日:10月07日

床下の小人たち (岩波 世界児童文学集)
メアリー ノートン
読了日:10月14日

遠い女―ラテンアメリカ短篇集 (文学の冒険シリーズ)
フリオ コルタサル,オクタビオ パス,カルロス フェンテス,フリオ・ラモン リベイロ,アルフォンソ レイエス
読了日:10月16日

イースターエッグに降る雪
ジュディ バドニッツ
読了日:10月22日

岸辺の旅
湯本 香樹実
読了日:10月24日

悪人
吉田 修一
読了日:10月29日

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2010年10月3日日曜日

私の中の谷に来る冬

 九月の間には、自分が思うような“読書”が出来たように思う。彼岸を過ぎてからではあったけれど過ごしやすい気候になり、身体中から流れていく汗の不快さも和らいだし、何よりも冬の準備として物語を溜め込もうとしていた。冬ごもりの準備と言えば、『ムーミン谷の冬』*で彼らがどっさりと松葉をお腹に詰め込んで冬を迎えるのだが、ああいう感じに自分が冬になっても乗り越えられるように、本を、物語を溜め込みたくなる。

 自分が冬になるというのは、本も読みたくないという時だ。「私がこの本を読んだからといって、どうなるというのだろう。藁で出来たこの頭に理解出来るというのか」という虚しさで荒れているときだ。書きかけで放置している小説の続きを書いてみてもつまらないし、読みなおしてみてもやはりつまらないし、それ以前に自分が書くものを信じられなくなっている時だ(これはよく起こることだから、やり過ごすのにそんなに辛くはない)。読んだところで私は賢くはならないし、それについて素晴らしい感想があるわけでもない。考える練習をずっと放棄し続けてきたので、考えようにもどこから始めればいいのかわからない。着眼点も、まあ無い。幾重にも重なる十二単のように、これらを引き摺っている。それはとても哀しいことだ。

 実際に来る冬で、自分が冬になるわけではないのだけれど、時折物語を疑ってしまうことがある。読むだけでもいいのか、私が読んでもいいのか、もっと他の、物語を心から求めている人が読むべきなのではないかと、愚かな疑いではあるのだけれど、私としては真剣である。自分が読んでいい物語などないのではないかと一瞬でも思ったら、泣けないほどに虚しくなる。

 九月に読んだ物語の中で特別に良かった、物語を読む人にはどうか読まれていますようにと願った本は、ロデリック・タウンリーの『記憶の国の王女』だ。とてもやさしい語り口で、平易な文体で綴られている。ただこれほど「絶対に読んでみて欲しい、そうでなければ、粗筋だけを伝えることはばかばかしい」と思う物語も、そうないと思う。物語と、物語を読んだものだけが持つ力というものは、実際存在すると思う。そうでなければならないし、そうあってほしい。物語が物語としてこれから先も生きていく為に。


記憶の国の王女
ロデリック タウンリー
読了日:09月27日

 これまで幾つも本を所持してきたし、またそれと同じくらいは手放してきた。けれど、たとえ手放したとしても、嫌いになって手放したわけではなかった。そして信じていた。今でも信じていたいと願っている。それを、物語に伝える術がないと言う事が、本当に悔しい。

 *『ムーミン谷の冬』トーベ・ヤンソン 山室静訳 講談社文庫

2010年10月1日金曜日

九月の読書まとめ

いつか読んだ本の記憶
2010年09月
アイテム数:16
ガラスの宮殿 (新潮クレスト・ブックス)
アミタヴ ゴーシュ
読了日:09月02日

青い野を歩く (エクス・リブリス)
クレア キーガン
読了日:09月05日

赤い薔薇ソースの伝説
ラウラ エスキヴェル
読了日:09月08日

悲しみを聴く石 (EXLIBRIS)
アティーク ラヒーミー
読了日:09月11日

血族 (文春文庫 や 3-4)
山口 瞳
読了日:09月12日

マグレブ、誘惑として
小川 国夫
読了日:09月14日

天使の運命 上
イサベル・アジェンデ
読了日:09月18日

天使の運命 下
イサベル・アジェンデ
読了日:09月19日

ウォーターランド (新潮クレスト・ブックス)
グレアム・スウィフト
読了日:09月20日

綺譚集
津原 泰水
読了日:09月22日

図書館警察 (Four past midnight (2))
スティーヴン キング
読了日:09月23日

赤朽葉家の伝説 (創元推理文庫)
桜庭 一樹
読了日:09月25日

記憶の国の王女
ロデリック タウンリー
読了日:09月27日

幸福な食卓 (講談社文庫)
瀬尾 まいこ
読了日:09月27日

そんな日の雨傘に (エクス・リブリス)
ヴィルヘルム ゲナツィーノ
読了日:09月30日

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滅びの王国

『すえっこOちゃん』という本を借りた。Oちゃんのほんとうの名前はオフェリアだけど、いつもOちゃんと呼ばれている。スウェーデンのある町に住んでいる七人きょうだいの末っ子で今は五歳。年上のきょうだいがいるのでおませさんだそう。奔放ではちゃめちゃだけれど、OちゃんにはOちゃんの理屈がし...