2017年3月5日日曜日

ゴロワーズを吸ったこと

 まだわたしが京都市に住んでいた頃、煙草を吸わない日はほとんどなかった。ちょうど二つ目の職場に勤めだした頃で、なんとなく吸えるんだろうなとは、吸う前から知っていたようにも思う。滑らかに煙は肺のあたりへ落ち、主に口腔から吐き出せた。秋だったと思う。けれど初めてにどの煙草を選んだかは曖昧で、日本の煙草だったか外国煙草だったか、メンソールだったかそうでないか、今はもうおぼつかない。ただずっと憧れていた煙草はあって、それは是非とも吸ってみたかったから、すんなりと煙を取り込めた事は嬉しくもあった。蝋燭に火が灯る程度の、ささやかさで。 

 わたしが憧れていた煙草というのは、ジタンだった。お洒落なフランス的な何かに強く憧れていた頃だったので、フランスの煙草がいいとずっと思っていたし、住んでいたアパートから大きな通りへ下ると、それを叶えてくれる自動販売機があったからだ。自動販売機には日本の煙草の他に外国煙草や葉巻も、確か置いていたように記憶している。そこにジタンが置いてあった。わたしの煙草を吸うきっかけは本当に些細な、背伸び、憧れからでしかなかった(しかしいずれそれは、長く暗い夜を過ごすための戦友にもなった、それが錯覚だったとして、どうして当時のわたしを責めることができるだろう)。
 ジタンは、煙の中で踊り子が扇を振っているイラストで、ブルーのパッケージ。このブルーはサファイアのような深みのある青だったように思う。箱は確かスライド式で、煙草そのものもフィルターも短く、咥えると少し太く感じた。煙草が巻かれている紙は少し粗悪さを感じさせる薄さで、味についてはとにかくからい。薄いインスタントコーヒーを飲みながら、買った分はどうにか吸った。

 例の自動販売機で適当に毎日の煙草を選ぶようになってから、少し経ち、いつも繁華街で気になっていた煙草の専門店へ赴いた。店内に入るのにはまだためらいがあったので、店外の自動販売機でゴロワーズ・レジェールとブリュンヌを見つける。ゴロワーズがフランスの煙草だということは、その時にはもう知っていたので、迷わず買った。ブリュンヌは両切りで、レジェールはチャコールフィルター付き、他にアメリカブレンドされたボックスパックももう売っていたのではなかったか。
 ゴロワーズは水色のパッケージに、銀色でロゴと、羽が付いているとんがり兜のイラストが描かれている。よくある煙草の長さ、太さではあったが、巻いてある紙はジタンよりさらに薄かった。ぺらぺらどころかふにゃふにゃで、日本の煙草はぎゅっと巻いてあってはつはつしているのだけれど、煙草本体がしなびているようにも感じるほど。そして匂いはとにかく臭い。素面ではとても吸えないんじゃないかと思うくらい臭かった。それもそうで、黒煙草という葉を乾燥させてから堆積発酵させたものだったし、その香りこそがゴロワーズの特徴でもあったからだ。

 止めればよいのに苦心して飲み物を色々変えて試したら、コーヒー(薄くてもまあよい、アメリカンくらいでも)とならまあそれなりに、というくらいに感じられるようになる。鼻ほど慣れやすい器官もそうないのではなかろうか。だんだんそのムッとする匂いが、なくてはならない香り(ただの習慣、ニコチンへの依存だったとしても)に変わり、いつしか煙草はそれでなくてはね、と味がわかってる風に思うようになった。最高だった、コーヒーの香りとゴロワーズに火をつけた瞬間、ちりっと紙とともに葉が燃えて、甘やかな香りが広がる時が。あの俳優も吸ったのかもしれない、憂鬱そうに眉間にしわを寄せて小雨の降る街のカフェで。できればその火はマッチがよい、箱入りではなくブックマッチのような、粗雑な、すぐに無くしてしまうくらいのかろやかさのちゃちな。煙草が燃え尽きるまではそんなに長い時間ではない。その間にできることなどほとんどない、一杯のコーヒーを飲み干すことも。でも、恋に落ちるくらいなら出来るんだと、まだ盲目的に思っていた頃、わたしはゴロワーズを吸っていた。わたしが暗く長い夜を過ごした時も、ゴロワーズは側にあった。それがただの習慣だったとしても、みっともない依存だったとしても、その火を温かなものだとほっとしながら朝を迎えたわたしを、支えてくれたことに違いはない。

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