2021年6月4日金曜日

不老不死

 本にまつわる仕事がしたいと気がついたのは高校三年の夏あたりだった。人より遅れて受験を目指して、司書資格の取れる大学に通い課程をおさめ、これでわたしも……!と思ったことはよく覚えている。でも募集がなかった。例えば太いケーブルを縫い針に通す以上になかった。派遣ならあったが、派遣では嫌だった。派遣やアルバイトでは意味がなかった。本屋のアルバイトは受けたが落ちた。その街に留まるために派遣でもアルバイトでもなんでもすればよかったのだろう、きっと。でも人より幼いわたしには、その考えがひとりでに湧くことはなかった。

 自分と自分の学んだことが必要とされていない世界に初めて直面したわたしは絶望し、とにかく憧れより勤まる仕事を探しては就職・離職・派遣登録・派遣・短時間のアルバイトをし、最終的には部屋から出られなくなるまで疲弊した(その頃は酒と精神薬と煙草に浸り切っていた)。

 当時付き合っていた、本性を隠していた男のために上京してしまい、妊娠して結婚したはいいがDV被害に遭い、赤ん坊を連れて離婚し実家に戻ることになる。今の、そしてもうすぐ会社都合で退職する仕事は元々母が勤めていた会社で、紹介されてバイトから始まり、社内派遣になり、今やっと正式な無期限雇用となった(が、それも事務所の閉鎖によって終わる)。

 こう書くと、流されてばかりで考えなしの馬鹿者のように見えることだろう。でもその時その時は振り落とされないように、一人で生活を立て直す為にずっと必死だった。そうは外から見えなくても、頭の中ではずっと「ちゃんとしなくては!人間として親として働かなくては!」と喚かれ続けていた。誰も、何も教えてくれなかった。どのような些細なことであっても自分から学び勝ち取らなくてはならない、そうしないものには権利はないとしか。

 今飲んでいる薬に出会うまでその喚き声が常にわたしの行動を無軌道なものにした。「普通の一般の社会人」ならしなくて済む努力は常に空回りして結果は惨憺たるものだったし、今だってその高すぎる「普通」という基準に到達するためだけに、あらゆる私生活を犠牲にしているしそれはこれからも続くのだと思う。

 わたしは多分長くは生きないと思う。子供の頃からぼんやりとそれは頭の片隅にあった。だからできる限りのことをできる限り時間の余裕をとりながら試していた、どっちみち絶望はするんだろうけれど、完全に希望を打ち砕かれないために。
 
 でも……一人で小さい文庫本サイズの本を出したりする、それもわたし個人のお楽しみのためだけの本というごくごく限られた本でも、作ることができたのはとても嬉しいことでね。本にまつわる仕事(一番は司書だけれど……もう言ってもいいよね、憧れていたことくらいなら)のできないわたしの、精一杯の「本にまつわること」だから、せめて生きているうちにやっておきたかった。いつだって「今日が一番若い日」だから。欲しいと言ってくださった方々にお礼申し上げます。本当にありがとう、ひとときあなたの手許にとどまることができて、わたしはとても、嬉しく思っています。


その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...