2020年8月9日日曜日

つめあと

‪    七月の終わり、この町の海軍工廠を狙った空襲があったそうだ。東京からやって来た祖父はそこで大工をしていたから、その日も働きに行っただろう。その空襲で少なくない人数が亡くなったと知ったのは、本当にここ十年の事だ。けれど祖父はそれにひとつも触れず語る事なく、黙っていた。‬黙っている人から何かを聞き出すのは──とても難しい事だと祖父の表情を見てわたしは知ったのだと思う。


‪ 子供の頃、祖父とはよく散歩をした。町内をぐるっとまわることもあったが、多かったのは遊具のほぼない、祖父母の家からすぐにある長い土手を登った先にある公園だった。建てられた慰霊の碑も二つほどあったと思う。そこを回って歩いたのだが、何故祖父が寄るのかわからなかった。祖父は黙っていたし、わたしも黙って歩き続けた。‬彼にとってあまり喋りたがらない孫はちょうどよかったのかもしれない。わたしはあれこれ聞かず、ただ黙ってついていく女の子だった。祖父母も黙っていたし、わたしもよく喋る子供ではなかった。それに祖父母は戦時中どんな暮らしだったかをほとんど、まったく口にしなかった。‬

 ‪一度だけ宿題のために、戦争のことを聞いたように思うが、濁されたのかはぐらかされたのか、祖父も祖母も黙ってしまい、これといった出来事を聞けなかったから、二度はしなかった。出来そうになかった。代わりに昔の硬貨や紙幣を貸してもらい宿題の代わりにした。言わないという事はそういう事なのだ。‬

 ‪母は完全に戦後生まれ、父は戦中の貧しい北の農村生まれで、わたしからでさえ戦争は遠くなってしまった。語る者がいなくなれば、でもなかったことになるか?それはない。語れなかった・語らなかった者の戦争がどんなものだったかは想像するより他にはないから、わたしはいつまでも想像してみるしかない。‬

 ‪でも、想像することをやめないでいたいと思う。そうする事くらいしか今のわたしにはできることが思いつかないが……それが何に繋がるか、何が出来るかは今もまだわからないけれど。

 

2020年8月7日金曜日

昏い記憶

 意図的にその記憶を消しているのかもしれない、なくしたものや手放したものが多すぎて、何をどういうつもりで「消した」のか、すっかり思い出せなくなった。手帳……たくさん書き込みをしていた、日記代わりの手帳が数冊あったはずだが、その姿をとんと見ない。

 夜を飛んだ飛行機のチケット(多分半券だろう、使ったのだから)を貼り付けていた手帳があったはずだった。ハードカバーで細身の、日記を書くといっても数行書けるかどうかの……青い太めのボールペンで、のたうった文字を書いていたはずだった。

 そうだ、確かその青いボールペンは、輸入雑貨を扱う店で買ったものではなかったか。毎年手帳を買いながら(予定がないので当たり前だが)なかなか書ききることのなかった手帳を一冊使い切った二度目の手帳ではなかったか。

 「あの日」以降にその手帳を、何度かめくっていたはずなのに、何を書いたのか、何を思っていたのか、全て吸い出されたように、記憶に残っていない。あるのは、確かに書いたという後付けの記憶ばかり……。

 東京に住みながら孤独に蝕まれてずっと引きこもっていた時も、モレスキンのノートにほぼ毎日何かを書いていた。切り抜きを貼って、持っているスタンプを押して、どうしてこの部屋からほとんど出られないのかと思いながら、こまこました字を綴っていたはずだ。二冊くらいはあったはずだ。

 でも、どれも今はもう見当たらない。捨てたことを無かったことにしようとして記憶から消したのだろうか?自分がしたはずの行動なのに、まるきり他人事のようだ。「消した」記憶の蓋が開くことがあるとすれば、それはいつだろう。その時わたしは何を思うだろう。

2020年8月1日土曜日

フェアリーサークル

    多分わたしは、多分ではなくもうずっと、処女でなくなったあの日あの時間からずっと、男の体を持って生まれ、女を抱くことができる男がずっと嫌いで、特に一夜でもベッドを共にできるような相手(というとても限定的な“男”。わたしを対等の人間として見ていない“男”。男といういきもの全てというわけではない、多分)を汚してやりたくてたまらなかったのだろうし、その相手はわたしと同等の生物ではなくて下等だと思いこみたかったのだと思う。関係を切るためにもそれを使うことがあった。最後の「贈り物」代わり。たっぷりとお土産を持たせた良い気分にしてあげるのだから、二度と関わらないで、これ以上あなたと関わるとわたしが「けがれる」。

 なぜそこまで過去に関係のあった男たちを嫌うことができるのかというと、わたしは一度も彼らに「同意」したことがなかったからだ。同意したのは、「この関係は必ず切る」と決意したもう一人のわたしだったからだ。彼らの性欲や征服欲が、まったく無価値だからだ。わたしの仕草や声の調子が全て“彼らが望む女と思われる姿を、わたしが演じていたもの”だと見抜かず、せっせと唯一の目的に向かって運動する間抜けだからだ。笑みをたたえて黙って肉に徹してくれればまだ……それはわたしが人を愛さないからだし、愛されたことがなかったからだし、愛を理解しないからかもしれない。でもそうだとしても、彼らはわたしを利用するのだからおあいこだ。もっと酷い目にあってもらってもいいくらいだとも思えてくる。だって男は男というだけで既に許されてるのだもの。女は違う。聖書でもそう。女であるだけで、いつも罰を受けているみたいだった、若い頃は特に。

 男にも女にもなりたくなかったのに、わたしを都合よく使おうとする男はいつも、わたしに女を求める。

 わたしに対して一度でも馬っ気を出した者は、表面ではそう扱わなくても、全てわたしの中で目の前で消えて欲しい人リスト入りした。この先関わることがあるとして(決してないが)、どんなに善きことを成したとしても、どんなに人のために尽くすことがあったとしても、わたしを踏んだことはかわらないから、そのリストからは外すことはない。どんなに立派になろうがどんなに落ちぶれようが、わたしと関係のあった彼らは等しく無価値だからだ。

「ぼく本当はそんな性欲ないんだよ」と言いながらいそいそとシャワーに向かう男の背中はみんな同じだった。白けきったわたしはベッドから後ろ姿に心の中で中指を立てていた。あつかましい割には貧乏性な性欲を持つ彼らは大抵マッチョではなく、けれどセックスの場面で男として扱われる事には渇望していた、とわたしは考えている。そういう望みを持つ男の、希望を、隠しきれずに沸き立った欲望を、全部めちゃくちゃにしてやりたかった。お前の欲望など価値のかけらもない、醜く滑稽な己自身が映っている鏡を、今ここでお前に見せてやりたいとどんなに望んだことか。

 まるで、自分はそれを望んだ事は一度もないが「せっかくおねだりされているのだから、してあげる」という態度をとる男たちの言う事も顔つきも、時代が変わっても出身地が違っていても年齢が上がっていっても、ほとんど一緒だった。彼らはどこで繋がっているのだろう、雨の後に現れるキノコの輪のようじゃない?

 性欲はないと既にごまかしている限定的な“彼ら”には、疲れさせられるだけ。いったい何に、誰に、申し開いているのだろう、どうして言い訳や理屈をつけるのだろう、わたしに対して?違うわね。自分自身が属しているつもりの、他の男たちに対して?きっとそう。自分自身の欲求に素直になればいいのに!認められたいのはわたしからの「あなたこそが女を抱ける男である」ではなく、女を抱く身体を持った他の男たちからの承認ではなくて?どっちみちわたしは彼らを見下すことは変わらないけれど。彼らはとてもよく似ていた。言う事もする事も手順も、後ろ姿も笑い方も。キノコのようによく似ていた。


(三年ほど前、ずっとずっと怒っていたことに気づいた時に連続投稿したツイートを、少し整えました)

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...