2019年5月28日火曜日

トリビュート闇の絵巻

梶井基次郎 闇の絵巻
 梶井基次郎の「闇の絵巻」が好きで、何か考えることが途切れると、つい闇の中にはいって行く男の後ろ姿を見ている彼を想像している。
 小さい頃、あるいは小学生の頃、闇は身近だった。朝、わたしたちは集落にも似た住宅街から、小さな峠を越えて学校へ歩いていく。峠と言っても大げさなものではなく、雑木林を切り開いて、アスファルトを敷いただけ(所々、木々の根のために盛り上がっている)の道。
 片手側に生い茂った雑木林、もう片側は小さな崖の間ににょろりと這うように作られた小さな道だった。雑木林側はいつも暗かった。小さな崖も覗き込めば薄暗かった。朝の白い光の中であっても、闇はそこかしこにあった。

 冬、日が早く暮れる頃になると申し訳程度の外灯がつくけれど、頼りなく小さなあかりでは暗がりが見通せるほどではなく、この頃からわたしは、わたしたちは暗い山道を、闇を、耳鳴りとも思える獣の声を、聞いた気になりながら歩いていたのだった。
 闇の中では自分の規則正しく前にだけ繰り出している足元だけを見る。それ以外を見れば、のまれそうになるからだしいっそのことのまれたくなるからだ。ふわふわと山へ入っていく人の気持ちは、あの頃に知ったのだと思う。
 前にも後ろにも誰もいないことを知りながら、後方の闇は見ないように(だってもしもその闇を見たら、振り向いた瞬間にランゴリアーズみたいに闇が世界を飲み込んでしまって、わたし以外無くなってしまうかもしれないじゃない?)、ランドセルの肩ベルトを握りしめて前方の闇へ。

 学校にも闇はあった。特に木造校舎の頃は闇が多かった。教室の隅は薄暗かったし、トイレは明かりがついていても暗かった。
 普段使われない理科室、美術室、図書室へつながる廊下も明かりがついていることは少なく、闇の向こう側にまだ世界があった。特別教室が使えるのは高学年になってからだったから、早くその闇を超えてそちら側へ行ってみたかったし、そっとその辺りを歩くこともあった。薄暗い廊下を照らす蛍光灯は、いつ見ても薄暗く、確かに闇の向こう側に世界はあったが、自分と同じ地平と時間軸の世界だったかという確信は、今も持てない。

 大人になってから、夜遊びのためにふらふらと街へ出たり車で夜を走るよりも、子供だった頃の方が、ずっと暗闇に近かったし親しかった。今、親しいつもりでいるのは闇ではなく、ただの、夜。

2019年1月3日木曜日

洪水を待つノアの箱舟(過去日記からの転載)

「20090107」
 暖かな昼下がり(それはサンルームのような洋間で、南向きだから冬でもたくさん陽が入る)、一人で子どもを抱いていると、或いはやっと寝付いた子どもをそっとベッドに降ろして毛布をかけてやると、宇宙から地球から重力から見放されたような、でも、逆に宇宙からまじまじと覗きこまれているような気分になる。宇宙においていかれたこどものような、頼りなげなあぶなげな。もちろん宇宙から覗かれたこともなければ置いていかれたことなどないはずだし、今はもういい年の大人なのに、それら穏やかな感情のふるえにすぐに応対できずに言葉通りに立ちつくしてしまう。 

 身体の隙間にすうっと空気が入ってきて、その隙間から身体の内側をゆっくりと押し広げられたようにぽかんとした気持ちになる。一日の内の、もの悲しそうな日の入り間近ではなく、家々が俯いて眠る厳かな夜明けでもない。充足した昼下がりを狙って“それ”は起きる。ざわざわとした、髪の毛がぱりぱりと帯電しつつあるように、晴れているのに西の空には不穏な雲が湧いているように、じわじわと周りを固めてからゆっくりと一呑みにするのだ。

 あ、と思う。いけない。でもそう思った瞬間は身体がもう傾いでいる。自転車で転ぶ瞬間のように、「あ」と思ったときすでに世界が回転して止められないのと同じ。子どもの頃は世界が広すぎて、ただそれだけで絶望出来てしまった。今は逆で自分の身体が、自分には大きすぎて身動きが取れなくてガリバーになってしまったのだ。へたへたと座り込んで頭を抱える。

 時間が煮こごりのようにぷりぷりと固まった部屋の窓から外をただ眺めて、きゅうっと奥歯を噛む。神様が起こした大洪水をなんとかやり過ごそうとじっと外を伺っているノア達は、どんな風に沢山の夜と暗い昼を過ごしたのだろう。膝を抱えて?手に手を取って?ざわめき出す動物たちをどうやって宥めたのだろう。鞭を使って?伝染してやがて絶望にまで成長する“不安”のなかで?それとも――恐ろしさに震えながら、本当に雨が止んで水が引くのかと、疑いに踏みつぶされそうになるこころをどうやって奮い立たせていたのだろう。

 一体私はどこへ行く為に方舟に乗り込んだのだろう。乗り込んだからには進むしかない。まだ水位は低いけれどもう海へ出てしまった。子どもは私という方舟からゆっくりと降りて次は、世界という方舟に乗る。私と子どもを乗せた方舟の、辿り着く先はどこだろう?そこは明るいところだろうか?鳩がオリーブをくわえてかえって来れるような場所だろうか?私が捧げられるものは私しかないけれど、それでも虹はかかるだろうか?私は、私は――。それでも多分洪水を待っている。いっそ洪水が起きればいいのだ、雨など止む必要はないのだと思いながら待っている。ここなら大丈夫、雨の間は大丈夫。何故なら方舟だから。

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...