2010年8月28日土曜日

夏の終わりと大滝詠一

五年ほど前の夜、ずっとおおたきえいいちを聴いていた。たまたま行った楽器屋に、ちょうど並んでいたのでつい、買ってしまった。おおたきえいいちのことを何も知らないまま。

夜になる度にCDをセットしてごついヘッドフォンをつけ、明け方近くまで熱心に聴いていた。ねとつくかねとつかないかすれすれの、柔らかいストリング声が部屋の中ではいつも停滞していて、心地よかった。何か機械を通した夜の声は、昼間聞く声よりもすこし湿っている。実際に会って話すよりも、ずっとしっとりしていて、耳にきちんとフィットする。そういうことを知ったのはその頃だった。だから私はいつも電話を待っていた、薄暗い部屋で。洞窟のような部屋でヘッドフォンで聴きながら。
夜明けまで長電話して

受話器持つ手がしびれたね

耳もとに触れたささやきは今も忘れない 
私は空っぽだとずっと思っていた。誰にでも合わせたいと思っていたし、実際ある程度は合わせることも出来ていると思っていた。人の趣味によって自分の趣味を少しずらすだけ。ずらしたところにそれを置くだけ。そんなに難しく考える事はなかった。借りられる物は借りて、ひとつずつ読み、聴き、観続けていたら、少しずつではあっても自分の趣味との境目を埋められると思っていたし、埋めようともした。だから、私は完全ではないにしろある程度は空洞でいられる。少なくともその、私ではない別の人がいる間は。

けれど、段々そんなことをしている自分を理解し辛くなってしまう。別に自分のことなんて自分が一番知っているんだから、理解する必要なぞないと今ではまあ、納得はしているのだけれども、その当時の私にとっては、それーー自分をきちんと理解して律していることーーは一大事だったのだ。
もうあなたの表情の輪郭もうすれて

ぼくはぼくの岸辺で生きて行くだけ…それだけ…
まさか、魂がないのか?だから空っぽに感じているのか? 短絡的な私はすぐにそういう結論に行き着いてしまう。私はいつも魂を探していた。私の身体に宿るのは魂のうてなでしかないと思っていたので、本当の魂が欲しかった。SFの世界では機械たちが魂が無いことに気がつき、やがて憧れるように、私も本当の魂に憧れていた。

かけてくる電話の声の主こそ、私の魂のうてなにきちんと鎮座出来る魂だと思っていた。そう思いたかったから、思い込んでしまった。声の主の魂は、声の主の魂のうてなにきちんと収まっていたというのに、それを気付かない振りをしていた。

人が夜に眠って夢を見るように、私は夜じゅう起きて、夢を見ていた。おおたきえいいちを聴きながら、いつかこの空っぽのうてなに、きちんと魂が置かれる夢を見ていた。ほんとうのたましいのゆめは、脆く果無く虚しさが混じる。それでもその夢は幸せだった。
もう遠すぎて何も映らない…
A LONG VACATION』 大滝詠一

2010年8月15日日曜日

方舟のゆくえ

私は私を信用していない。迂闊には信用出来ない。私が怖いのはいつも私だ。他人ではなくて自分の中にある自分が怖い。考えている事と行動が、時折ちぐはぐになる。街頭の人形芝居で必死に物語を進めようとしているのに、下手くそな人形遣いがどうやっても糸と人形をもみくちゃにしてしまうような芝居だ。可笑しいのに笑っていられずにいたたまれなくなるお芝居を、じっと一人で見せられているような、演じているような、もう見たくもないし演じたくもないのに、やめようとするほど焦りだけが先走って、ことん、と倒れてしまうような、そんな芝居を毎日している。不毛だけれど、それをしなければ筋肉がこわばって固まっていきそうだから、そうするしか、方法を見つけられない。
 
私の毎日は、サーカスのようなものだ。時折ずれはするが決めた時間に始まり、なるべく決めた時間に終える。少々のアクシデントは愉快さに変えて、自分も子どもも誤摩化しながら終える。拍手喝采もなくヤジも飛ばないけれど、団長でもあり猛獣使いでもありピエロでもある私は、きっちりと毎回始まらせ終えなくてはならない。観客でもある私は、毎回律儀にそれを見なければならない。

毎度毎度、踏み外しそうな白い細いロープを渡っているようで、いっそ渡り終えずに落ちてしまいたいと思う。しかしその綱には足首とを繋ぐ丈夫なリングがあって、落ちようにも落ちられない。案外その綱は短いかもしれないのだけれど、暗闇の中ではどこまで伸びているのかもわからない。それをそろそろとつま先で探り、土踏まず辺りにロープが来るように歩き続けるしか道はないのだ。

ずっとバーを握っていると、どうして握っているのか、握らなくてはならない理由があったのか、手の緊張感と一緒に疑問も高まっていく。綱を渡る為に歩いているのか、ゴールに到達したくて歩いているのか、だんだんそれも暗闇に吸い込まれる。辿り着かないはずはないとわかっていても、足下だけにスポットライトがあたっている綱を渡っていると、もう落ちてもいいんじゃないかと思う。けれど別の私である団長はそれを許さない。自分で見ていてヒヤヒヤする。ヒヤヒヤしているのに手出しが出来ない。もう見るのもやめたいのに、やめられない。

毎日が綱渡り。だから日に一度か二度は、こんな生きにくい世の中なんか爆発してしまえと思う。けれども子どもが純粋にただ生きている事を思うと、くそったれ!と思いながらも爆発はして欲しくなくて、結局のところまたそのサーカスの準備も撤収もいそいそしてしまうのだ。ここから旅立てる方舟の夢を見ながら。明日も明後日も明々後日も、世界は続く、はず。私の方舟はまだ完成していない。

2010年8月8日日曜日

7月の読書まとめ

いつか読んだ本の記憶
2010年07月
アイテム数:11
二十歳だった頃
岩瀬 成子
読了日:07月02日

少女外道
皆川 博子
読了日:07月07日

受胎告知
矢川 澄子
読了日:07月10日

ボンベイの不思議なアパート
ロヒントン ミストリー
読了日:07月10日

ジェイン・オースティンの読書会
カレン・ジョイ ファウラー
読了日:07月13日

サフラン・キッチン (新潮クレスト・ブックス)
ヤスミン・クラウザー
読了日:07月15日

サラの鍵 (新潮クレスト・ブックス)
タチアナ・ド ロネ
読了日:07月26日

夜明け前のセレスティーノ (文学の冒険シリーズ)
レイナルド アレナス
読了日:07月27日

乙女の密告
赤染 晶子
読了日:07月27日

授乳 (講談社文庫)
村田 沙耶香
読了日:07月29日

サーカス団長の娘
ヨースタイン ゴルデル
読了日:07月31日

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その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...