2012年1月8日日曜日

ホテルカリフォルニアの642号室

 微かな咳で目覚める朝、ある時刻……西に住む私の夜はまだ明けきっていず、夜の毛布を引き摺りながらベッドをまろび出て一番にする事は、誰も居ない部屋へ上がり煙草をくわえてしゅっ、ぽうっ、ぷうーっ。昨日の分の最後の溜息はもんやりと煙になって立ち上る、見るともなく見た煙越しに、壁は、揺れる、しかし笑わない。音を立てるものは予約運転を始めたエア・コンディショナーと、私の心臓。二つともけれど同じリズムは刻まない。心臓はカコカコと鳴り、エア・コンディショナーはコッコッヴヴヴーヴーン……。

 昨夜に薄く流した「ホテルカリフォルニア」の名残はないが梅酒の名残は、ある。胸の辺りにぽうっと灯りがまだ。じじじ、じじ、と悶えるフィラメント(そう、この部屋には白熱灯がある)のように微かだが、まだ消えてはいない。この灯りを一日消さずにいられるだろうか。南半球で見える星は、北半球では見えないけれど、存在しないということはない。それと、同じようにはいかないのだろうか。

 のろのろと下着をつけ仕事用の服を身に付け、髪と顔を整える。昨日の私が鏡の中にいるものだから嫌なおんなだ、と思う。一日、毎日、ほぼ同じ業務をするのだ、これから……。つまらなかろうがつまろうが、私自身には見えない何かが目の前に浮遊していようが、いまいが、なんということもない。

 この男が私を誘ったら、寝ようかと思う男が数人ある。誘われないから寝ない。一人で眠るこの気楽さを誰に分けたいと思うだろう、ああ、私は分けることが下手だ。いっそ全部捧げるか、初めから分けないか。火を分けることは出来ても灯りを分けることは出来ない。これと同じ理由で。

 華々しい孤独が私にはある。身体がもしばらばらになったら、華々しく散っていくだろう孤独がある。それを早く見てみたい。

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...