2009年11月18日水曜日

聖堂にて

 本があるところは、すこし埃っぽい匂いがする。それはとても甘く、柔らかく、同時に香ばしい。冷たいが同時に温かで、さざ波のように声が聞こえる。誰かの。遠い過去からの。近い未来からの。
 本があるというその点においては、私にとっては懐かしく親しい場所なのだ。そこが初めての場所だとしても。

 古本屋や図書館はインクと紙とそれらの入り交じった建物の、落ち着いた埃っぽい匂いがする。それに、よく日に晒された紙の匂いも。

 新鮮な埃っぽさというだけで、それは新刊書店でも同じこと。もっとも、新鮮なのは雑誌売り場の匂いで、文芸書やそれほど動きのない棚は、落ち着いた匂いがする。どちらも、私にとってとても好きな部類の匂いだ。

 今でこそ身軽には行けないけれど、新刊書店でもリサイクル本屋でも図書館でも、とにかく本のある風景が好きで、散歩を兼ねて出掛けた。図書館はしばらく通っていなかったので、その雰囲気に慣れるまで時間がかかったけれど、概ね館内で自由に過ごせるようになったと思う。今は、子どもを連れているので、自分の借りたい分は図書館のサイト上で確認して、短時間で切り上げている。それでもやはり図書館に足を踏み入れると、ふっともう一方の、子どもと繋いでいない方の手を握られる気がする。

 初めて図書室に入った小学生だった私に。行き場を求めて図書室に逃げ込んだ高校生の私に。人に恐れて、それでも人を嫌いになれずに憧れて、情報館から彼らを眺めていた大学生の私に。 

 人は去っていくけれど、本は去らない。それは幻想だろうか?それでも、構わない。本は裏切らない。未来の私が本を裏切ることはあっても。全てにおいて誠実な生き方をしたいと思わせているのは、私にとっては未来の象徴である子どもと、過去の証である本たちである。そこに親たちは含まれない。なぜなら親たちは既に私の一部であるからだ。

本を読むならいまだ
新しい頁をきりはなつとき

紙の花粉は匂ひよく立つ

そとの賑やかな新緑まで

ペエジにとぢこめられてゐるやうだ
本は美しい信愛をもつて私を囲んでゐる

室生犀星「本」

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