本があるというその点においては、私にとっては懐かしく親しい場所なのだ。そこが初めての場所だとしても。
古本屋や図書館はインクと紙とそれらの入り交じった建物の、落ち着いた埃っぽい匂いがする。それに、よく日に晒された紙の匂いも。
新鮮な埃っぽさというだけで、それは新刊書店でも同じこと。もっとも、新鮮なのは雑誌売り場の匂いで、文芸書やそれほど動きのない棚は、落ち着いた匂いがする。どちらも、私にとってとても好きな部類の匂いだ。
今でこそ身軽には行けないけれど、新刊書店でもリサイクル本屋でも図書館でも、とにかく本のある風景が好きで、散歩を兼ねて出掛けた。図書館はしばらく通っていなかったので、その雰囲気に慣れるまで時間がかかったけれど、概ね館内で自由に過ごせるようになったと思う。今は、子どもを連れているので、自分の借りたい分は図書館のサイト上で確認して、短時間で切り上げている。それでもやはり図書館に足を踏み入れると、ふっともう一方の、子どもと繋いでいない方の手を握られる気がする。
初めて図書室に入った小学生だった私に。行き場を求めて図書室に逃げ込んだ高校生の私に。人に恐れて、それでも人を嫌いになれずに憧れて、情報館から彼らを眺めていた大学生の私に。
人は去っていくけれど、本は去らない。それは幻想だろうか?それでも、構わない。本は裏切らない。未来の私が本を裏切ることはあっても。全てにおいて誠実な生き方をしたいと思わせているのは、私にとっては未来の象徴である子どもと、過去の証である本たちである。そこに親たちは含まれない。なぜなら親たちは既に私の一部であるからだ。
本を読むならいまだ
新しい頁をきりはなつとき
紙の花粉は匂ひよく立つ
そとの賑やかな新緑まで
ペエジにとぢこめられてゐるやうだ
本は美しい信愛をもつて私を囲んでゐる
室生犀星「本」
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