2009年11月19日木曜日

海と白昼夢

 数日ぶりに晴れた。けれど雨が冬をそこら中にまき散らしてしまったので、空気はもう11月ではなく、冬のそれになっている。

 朝、空と言わず世界中が白いのもそう。冬だからだ。大きな牛乳瓶の中に町ごと沈んでいるような、うっとりと窒息していきそうな冷たい空気の中、私は窓を開ける、毎朝。

 私の移動手段の殆どは自転車で、私はそれをまずまず気に入っている。煙草をすっかりやめたので呼吸もとにかく楽だし、少々きかん坊な娘相手の育児と家事のおかげで、すこしずつ体力も付いているらしい。妊娠する前の、あのがりがりした不健康体とは違って、身体全体にうっすらと脂肪が付いているので、逆に動くのが楽なのだ。

 抱っこおんぶ紐で娘を背負い、ペダルをぐっと踏み込むと、空気をきちんと入れておいたタイヤがつうっと地面を滑り出す。滑らかに静かに穏やかにそれは始まり、すこしずつ加速していく。

 町の中へと出るには海の側の道を通るより道はない。昔から変わらない景色だ。変わりかけた景色もあるけれど、おおよそ変わってはいない。たまに釣り人もいる。穴場らしくちょくちょくいろんな人が釣り竿を持って糸を垂らしているのだ。

 今日の海辺には、海を見ているひとがいた。

 それまで自転車を漕ぎながら歌っていた鼻歌もやめて、そっと通り過ぎようと思いながら、半分好奇心でそちらを見たら、そのひとはひとではなく朽ちかけた杭だった。けれど確かに見ていたのだ、そのひとは。彼(彼女?)は一人で海を、じっとしずかに、すこし頭を垂れてーーあの「晩鐘」の男のひとようにーー海を見ていたのだ。

 何故だかとても、犯しがたい雰囲気を荒らしてしまいそうで、もともと海など見ていなかったように視線をスライドさせ、ペダルを力一杯踏み込む。自転車はそれに合わせて速度を増して、景色が後ろへと移っていく。あれは本当に朽ちた杭だったのだろうか。人ではなく、杭だったと私は言い切れるのだろうか。杭は、やはり海を見ていた。

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