2009年11月7日土曜日

十一月に現れる扉のこと 


「私にとっての意味というのはね、『十一月には扉を開け』ってことよ。
どっちがいいかって迷うような事があっても、それが十一月なら、前に進むの。
十一月に起こることは、とにかく前向きに受け入れようって、そう思うようになっちゃった。
だって、そのドアの向こう側って、光が燦々で、すごくいい所みたいじゃない?
扉をあけて、ぐんと進んでも、だいじょうぶなんだって気がするでしょう。…………」
高楼方子 『十一月の扉』リブリオ出版/新潮文庫



十一月の、何でもない日に新しく日記を始めることにした。
これまで使ったことのない場所で、全く新しく。
新品のノートに、なにか書くときはいつも手が少し、震えた。
なにを書いていいのかひとしきり迷ってから、とても素晴らしいことを書くのだと意気込んだ。
そして、どうでもいいことを書いた。あとから必ずほんの少しだけ後悔するような、どうでもよさのことを。
ノートを新しく買う度に、同じ事を繰り返している。ここもそうなるかもしれない。そのうちにわたしの身体に馴染むことを願って。


追記

ラベルについてのメモ
「はじめに」  :前置きとしてのご挨拶
「クランブル」 :思うことのつぶやき(ついったーではない)
「デイズ」   :日常の、その日の、出来事を書く
「フィラメント」:小説に似せた文章のもの、散文、作り事、習作、嘘

私の日常は、こうやって書き出された時点でフィクションになってしまいますが、書き出されたものそのものはフィクションにならない。

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