2012年7月28日土曜日

のうぜんかずら、

 しだれ落ちる凌霄花の家が、保育所のすぐ近くに一軒、工場と実家の間に一軒ある。夏は、ヴェールと言うよりはケープに近い濃い緑に覆われた家をちらと横目で、目視して通り過ぎる。ああ、と思う。ああ、遠いいつかに、外側ではなく内側からあのこぼれ落ちる……刺繍のように鮮やかな花を見たはずだと、思う。 本当は見た事など一度もないというのに、畳敷きの部屋の内側、腰の高さの窓から、胸から上だけを覗かせて見たことがあるように、思う。

 いったい古い家屋と濃い緑との、危うく怪しい抱擁がこちらに沸き立たせるあの、ノスタルジアともレミニセンスとも区別し難い……それは蜃気楼に似ている気がする……淡い感情を抱かせるのはなぜか。私が学生だった頃、ある街のある細い通りで、古いのに古くない石造りの病院があって、その壁には蔦がつるつると登り詰めているのを見た。あれを見たのも夏だった、夏の夕暮れ、ふくらはぎにアスファルトが吸った熱が這い上がってきた、夕暮れ。あれも私はずっと昔から知っていたはずの建物だった。それが通りを歩いている途中に生えたのだ。

 夏はマボロシが立つ。誰かの、いつかの思い出の為に。

 生という生が発熱し放熱し発酵する。私はその匂いに中る。冬が遠い上方から私の近くへ“降って”、傍にあるものなら、夏は私の近くから私を通って上方へ“上って”遠ざかっていくものだ。

 花が咲くように思い出が……あり得ない思い出が咲く。夏だ、夏だなあ。

2012年6月10日日曜日

真夜中にバッハ

 彼に会った時、私はまだある呉服会社で事務員をしていたので、彼とだけ会う時に限らず人と会うのはいつも、仕事が終わってからだった。事務の仕事と銘打ってあるにも関わらず、基本的な事務の他にほんの少しデザインを弄ったり、展示会で使用する金糸銀糸の織り込まれた帯や絵羽(と呼ばれていたが実際は、試着が出来るようにごく簡単な仮縫いがしてある、仕立てていないが切ってはある反物)、ぎゅっと巻かれた重い反物、小物を出荷したり、何でもする仕事だったし営業兼スタイリストたちが社に戻るのは定時を過ぎてからだったので、結局定時などあるようでない、労働基準法などまったく無視された職場だったから、早くて20時、遅ければ24時をまわってからやっと帰宅を許される。それから人に会うのだった。

 彼は大抵昼間は眠っていた、と思う。そうでなければ絵を描いていた、と思う。或いはつまらなさそうに薬を飲んでいたか。もしそれもしていなかったら煙草を吸っていただろうし、詩を書いていただろうし、時折自分の楽器を触っていただろう。長く続けたバイオリンか、気紛れに始めたベースか、電子ピアノか。薄い楽譜は沢山あったが、大抵はバイオリンの教本だったように、今では思われる。彼はまるで野良猫のようだった。大きくて澄んだ瞳をしていて、髪の毛はふわふわと逆立っていた。ガリガリに痩せていて、時折たっぷり食べる。違うのは、腕の太い傷跡は喧嘩でついたものではなかったところだろうか。

「いる?おいでよ」とメールが携帯電話に入れば、私は飼いならされた犬のように駆けた。時には私も背中に、初心者用のバイオリンのセットを背負って、走っていった。夜の四条通りは薄明るく観光客は皆、ホテルで次の日のルートを確認しているような時間に、外を出歩いているのは、遊び慣れていない学生たちか、金はあっても遊び飽きた若い男女たちばかりだった。彼等がフラフラ歩くのを横目に見ながらバイオリンケースをごとごと揺らして、アパートまで出向いた。

 特に何をするわけでもなかった。彼の持っている漫画を読んだり、風呂に入ったり、身体に絵を描いてもらったり、二人とも気侭に夜を過した。彼の気が向けばバイオリンを弾いてくれたし、私に少し教えてもくれた。身に付かなかったがエレクトーンを習っていたので、楽譜は読めたし正しい音は分る(が、バイオリンでは正しいAもなかなか出せなかった、それでも続けたかったのは働いている理由が生活の他に必要だったからだ)。すぐに出来るようになるよと教えてくれたのが、バッハのメヌエットト長調BWV.Anh.114だったので狂ったようにそればかり弾いた。弦を押さえた指に正しい音は留まらず、外れて、溢れて流れてしまうけれど。

 やっと捕まえた音でも次の指も必ず正しい音を摘めるわけではない、ごく初心者の私に、彼は根気よくはなかったが、同じバイオリンからまったく違う音が出てくるのが面白くて、何度も強請って弾いてもらう。たどたどしく私は彼の音を追いかけてまた調子っぱずれの音を弓から弦から放出する。それの繰り返しだった。それでもそれがとても楽しかった。ビブラートさえできなかったが、真夜中であること、楽譜を読むこと、バッハであることが。(バッハだって真夜中にはレッスンをしなかっただろう!)

 彼はもう居ないし、私ももうバイオリンを何年も触らないでいる。きっとひどい音がするだろう、音叉での調音もしていないままだ。彼に合わせて夜中をいつも、駆けて、歩いて、明け方に転寝して、それでちょうど良かった。狂い始めた音は、今はもうすっかり狂っていて、そして私はその狂った音に慣れてしまった。それとも、あの頃の音は狂っていたのか、今が正しい音なのか。どちらにしても、もう真夜中にバッハは弾かない。

2012年3月17日土曜日

ハ短調の響き

『稚くて愛を知らず』を読んだ。主人公友紀子の地上から約三センチ浮いて生きている様が、ちっとも自分に似てなど居ないのに近しいものを感じてしまった。友紀子は大正生まれの病院の娘で、父母に限らず病院関係者からも大事に大事に育てられている。それは私とは全く違っていて、私などはごく貧しい家なのに自信過剰に育ってしまって、周りをよく見ないで夢遊病者のごとく生きているのだが、どことはなくよく知っている女性なのだ、友紀子は。

なにより、愛し方を知らないというところだ。私は未だに神様みたいな人を好きになりたかったと思う。私の好きなように愛することが出来る、崇拝してひれ伏してその足に口づけ出来るだけで幸福の絶頂に届いてしまう、神様みたいな人を愛したい。そうすれば私を見ていなくても、哀しくもないしまた勝手に愛し続けていられる。そして私が神様の前に跪く時にほのかに愛されていると感じられればそれでいい。

私の楽園は私の子ども時代の部屋で、また一人暮らしをしていた部屋だった。私以外には誰にも、子どもですら侵されたくない日もある。楽園に植えられた樹に成る果実のままでいなければ、早々腐ってしまうのだと本能で知っている。箱庭のような、或いはスノードームのような空間で、時折木陰を増やしてみたり鳥の群れを羽ばたかせたり、ちらっと見てくれるだけで、いい。私は私の楽園の中で漂っている林檎の香りであれれば、尚、いい。

特定の男と寝る事は自分の身体を成形しなおす事だろうからと開き直って、寝る事もある。実際に変わる余地がある自分の身体(自分の身体の奥にあった核のようなもの)を引き揚げるとでも言うべきか。そういう、“成形しなおす”というのは物語を読んでいる時にも起こり得るのだから、寝る事と読む事は大して変わらない。けれどこれではいつか、破綻する。私だけでなく特定の男も、私の子どもも。そう思いながら暮しているのに悔悛などひとかけらもなく、破綻する日をどうも心待ちにしている。「ああ、やっと駄目になった、やっぱり、駄目になった!」と頬を微かにでも緩ませながら思いたいのだとしたら、周りを巻き込み過ぎだ。長調の中で特に苦手なヘ長調の中にいるような。早く破綻してほしいと思う。イ短調かハ短調くらいの落ちつきの中で。

2012年1月8日日曜日

ホテルカリフォルニアの642号室

 微かな咳で目覚める朝、ある時刻……西に住む私の夜はまだ明けきっていず、夜の毛布を引き摺りながらベッドをまろび出て一番にする事は、誰も居ない部屋へ上がり煙草をくわえてしゅっ、ぽうっ、ぷうーっ。昨日の分の最後の溜息はもんやりと煙になって立ち上る、見るともなく見た煙越しに、壁は、揺れる、しかし笑わない。音を立てるものは予約運転を始めたエア・コンディショナーと、私の心臓。二つともけれど同じリズムは刻まない。心臓はカコカコと鳴り、エア・コンディショナーはコッコッヴヴヴーヴーン……。

 昨夜に薄く流した「ホテルカリフォルニア」の名残はないが梅酒の名残は、ある。胸の辺りにぽうっと灯りがまだ。じじじ、じじ、と悶えるフィラメント(そう、この部屋には白熱灯がある)のように微かだが、まだ消えてはいない。この灯りを一日消さずにいられるだろうか。南半球で見える星は、北半球では見えないけれど、存在しないということはない。それと、同じようにはいかないのだろうか。

 のろのろと下着をつけ仕事用の服を身に付け、髪と顔を整える。昨日の私が鏡の中にいるものだから嫌なおんなだ、と思う。一日、毎日、ほぼ同じ業務をするのだ、これから……。つまらなかろうがつまろうが、私自身には見えない何かが目の前に浮遊していようが、いまいが、なんということもない。

 この男が私を誘ったら、寝ようかと思う男が数人ある。誘われないから寝ない。一人で眠るこの気楽さを誰に分けたいと思うだろう、ああ、私は分けることが下手だ。いっそ全部捧げるか、初めから分けないか。火を分けることは出来ても灯りを分けることは出来ない。これと同じ理由で。

 華々しい孤独が私にはある。身体がもしばらばらになったら、華々しく散っていくだろう孤独がある。それを早く見てみたい。

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...