2012年3月17日土曜日

ハ短調の響き

『稚くて愛を知らず』を読んだ。主人公友紀子の地上から約三センチ浮いて生きている様が、ちっとも自分に似てなど居ないのに近しいものを感じてしまった。友紀子は大正生まれの病院の娘で、父母に限らず病院関係者からも大事に大事に育てられている。それは私とは全く違っていて、私などはごく貧しい家なのに自信過剰に育ってしまって、周りをよく見ないで夢遊病者のごとく生きているのだが、どことはなくよく知っている女性なのだ、友紀子は。

なにより、愛し方を知らないというところだ。私は未だに神様みたいな人を好きになりたかったと思う。私の好きなように愛することが出来る、崇拝してひれ伏してその足に口づけ出来るだけで幸福の絶頂に届いてしまう、神様みたいな人を愛したい。そうすれば私を見ていなくても、哀しくもないしまた勝手に愛し続けていられる。そして私が神様の前に跪く時にほのかに愛されていると感じられればそれでいい。

私の楽園は私の子ども時代の部屋で、また一人暮らしをしていた部屋だった。私以外には誰にも、子どもですら侵されたくない日もある。楽園に植えられた樹に成る果実のままでいなければ、早々腐ってしまうのだと本能で知っている。箱庭のような、或いはスノードームのような空間で、時折木陰を増やしてみたり鳥の群れを羽ばたかせたり、ちらっと見てくれるだけで、いい。私は私の楽園の中で漂っている林檎の香りであれれば、尚、いい。

特定の男と寝る事は自分の身体を成形しなおす事だろうからと開き直って、寝る事もある。実際に変わる余地がある自分の身体(自分の身体の奥にあった核のようなもの)を引き揚げるとでも言うべきか。そういう、“成形しなおす”というのは物語を読んでいる時にも起こり得るのだから、寝る事と読む事は大して変わらない。けれどこれではいつか、破綻する。私だけでなく特定の男も、私の子どもも。そう思いながら暮しているのに悔悛などひとかけらもなく、破綻する日をどうも心待ちにしている。「ああ、やっと駄目になった、やっぱり、駄目になった!」と頬を微かにでも緩ませながら思いたいのだとしたら、周りを巻き込み過ぎだ。長調の中で特に苦手なヘ長調の中にいるような。早く破綻してほしいと思う。イ短調かハ短調くらいの落ちつきの中で。

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