2020年7月29日水曜日

欲望という名の物語

 物語を読み終わると疲労と淋しさと離人感を味わう。二重に自分の視点があるような、現実のチャネルにあっていないような。なので、深く物語に沈み込んだ後は現実に戻るまでに時間がかかる。こういう読み方はよいような気があまりしない。しかしこの読み方でしか物語を読んでこなかったので、実のところどうすればいいのか、わからないままでいる。

 良い読者ではないので(良い読者とは感想や批評を文字にすることができる人の事だと思う)、物語を読んでいる間は無意識のうちに登場人物たちの人生の、あるいっときを生きようとしているし、少なくとも物語を読んでいる間は自分の人生を生きていない。多分わたしが年齢より精神的にずっと幼いのは、なにも知能の問題だけではなく、この深く物語に沈み、自分の人生ではなく物語の他人の人生を歩んだつもりでいるからではないか、と時々思う。

 それは時にとても危険な気がしている。他人の人生を飲み込んでいるような、グロテスクさがある。

 物語を持たないわたしが、物語そのものである他人に触れたいと願うのは、とても危ないことなのだろう。おなかがすいたからパンを食べるように、自分の心の奥底に、他人を食べたいし食べたっていいんだという欲望を持っているんじゃないか。物語を好きに読むように、他人も読もうとしているんじゃないか。他人というのは別に人間に限らない。星や月についてもそう。

2020年7月23日木曜日

神様を待ちながら

 ずっと子供の頃から、名前のない「神様」のような完全な存在を夢見ていたように思う。そしてその「神様」さえわたしを見つけてくれたら、わたしの「場に馴染めない/物事に向かい合うことを避ける/何事も取り掛かることが遅いetc……」という不具合も、まとめて愛してもらえるのではないかと思っていたのだと思う。画像はわたし自身の「神様のような他人」についての願望。
 けれど、生身の人間に対しての崇拝はとても強い力が働くので、大抵わたしの方が根を上げてしまうし、関係をシャットダウンされる事を望んだ。時にはそうでなく嫌いになる事もあったが、概ね関係は途切れたのだから願いは叶ったことになる。呪いのようなものではないか?あまりにも自身の願いが強すぎて、呪いが跳ね返ってしまったような気もしてくる。
 生身の人間は神様になることはできないのに、それでもその人の中に神様を探そうとして、わたしはその人を好きになったんだと今なら思う。そこにはいつも、その人(たち)はいなくて、わたしはずっと「神様」と名付けた完全体のわたしを探していたんじゃないだろうか。いつか、誰かが言っていた「人は完全な球体になるために相手を探す」という言葉を都合よくねじ曲げるように、完全な「わたし」になるために人を探していたのではないだろうか。それはなんて淋しく、悲しいことだろう。愛することひとつも知らないままに、ただただ呑み込める相手をふらふらと探し求めていたなんて。存在しない「神様」に出会う日をずっと待っていたなんて。





2020年7月16日木曜日

痛み/夏

 初めて殴られた日は、まだ安定期に入る前だった。わたしは不安だった。一人で京都から東京へ越して、一人で部屋を借りていた。彼はそこに週に何日かは来てくれて、過ごしていくというスタイルを続けていた。そうなる前にも何回かは喧嘩をしていた。雪の降る中に「あなたには帰る家があるんだからここから出ていってくれ」と言ったこともあった。彼は頭を冷やすために帰っていったから、その日もそうなるんじゃないだろうかという予想をしていた。その予想は甘かったことは後から分かった。

 何がきっかけだったか……彼はまだ法科大学院生だった。わたしは彼を応援していたし、サポートも出来ることはなんでもしようと思っていたし、彼が望むものをもしわたしが提供できるなら、ある程度まではそうしようとずっと思っていた。ずっと一緒にいたい人だったから、わたしも彼も五分五分でいるつもりだった。だから彼が望んだ「赤ん坊」をわたしは妊娠した。

 一人ぼっちだった。東京に知り合いもおらず、紹介される人はみな彼の友達、彼のつながりのある人ばかりで、心から信頼できる人もいなかった、彼でさえそうではなかった。なのに、わたしは妊娠してしまった。本当ならそうするべきではなかったのだと思う。不安が強いのに妊娠してからわたしは倍以上に不安がった。もしも胎児に何かあったらどうしていいかわからないし、不安を抑えるための薬は全て、妊娠がわかった時に医者と相談してやめたので、何もわたしを止めるものがない。あまりにも不安で、あまりにも怖くて、わたしは言ってはいけない一言をつい漏らしてしまった。

「堕胎したい、こんな不安な妊娠はもう続けたくない」

 次の瞬間、わたしは吹っ飛び、冷蔵庫にぶち当たった。彼の平手がわたしの側頭部に振り下ろされた反動だった。冷たいフローリングで(冬だったし一階のワンルームだったので、隅の方はとにかく冷えていた)わたしは呆然と彼の顔を見ていた。彼の言葉は驚きと衝撃でほとんど聞き取れず、ぼうぼうとしていた(のちにあまりに聞こえが悪いので耳鼻科へ行くと、鼓膜が破れていた)。彼は怒りと悲しみ、被害感情に塗れた顔をしていたようにも思うし、そうでなかったかもしれない。塗りつぶしたように彼はわたしの記憶の中でいなくなってしまう。

 二度目に殴られたのはお腹がふっくらと丸くなってきた頃だっただろうか。一緒に暮らすわけでもなく、籍を入れるかどうか伸ばし伸ばしにしていた頃じゃないだろうか。検診にもずっとほとんど一人で行っていた。彼は授業時間がタイトで学校も少し離れていたから、忙しかったしわたしも長時間の待合室で人を待たせたくなかった。実体があるのだとわたし自身にも言い聞かせるように、写真だけはこまめに見せていた。お腹が大きくなり始めたので、よろよろと歩いて検診に行っていた頃、やっぱり不安でたまらなかった。何も約束されていない未来を絶望したのが間違っていたのだろうか?あの時何を言って彼が激昂したのかは覚えていない。次の瞬間は、わたしの腹の上に彼が馬乗りになって平手で殴っていたから。その時は彼の母親を呼び、わたしは産婦人科で診察を受けたと思う。幸いなことに胎児に異常は全くなかったから、ある程度の力加減はしていたのではないだろうか。その前後に、やっと婚姻届を出すことにしたのだった。彼は……喜んでいたように思う。喜んでいたのだろう、彼の望むことが紆余曲折を経ながらでも少しずつ形になっていた。わたしは彼の思う通りの人間ではなかったから、彼の思いと実際の形はじわじわとずれてはいたとは思うけれど……。線が重なり合わずほんのわずかなズレがあると、その線が延びていった先で大きく角度が開いてしまう。本当に少しずつ、確実にわたしたちはずれていった。重なる時が来るとしたら、どちからがぐにゃりと曲がる時……いや来るのだろうかとぼんやりと思っていた。

 三度目はどうだっただろう、産後長々と実家の世話になり、「帰宅」した時だっただろうか。彼にはあちこちに頭を下げてもらって、お金をかき集めて借りた部屋に帰宅した頃(家財道具はすべてわたしが使っていたものばかりだった、だから彼が借りたのは実質部屋という枠だった)のことだっただろうか。まだ離乳食も始めていなかった頃だっただろうか。何がきっかけで、どんな殴られ方をしたのか、ここはどうにも曖昧だが、初めて警察を呼んだことは覚えている。だから多分、赤ん坊を背負っていた時だったんじゃないだろうか。警察署で話を聞かれながら「どうしますか」と問われ「帰ります」と答えたんだと思う。彼には警察官から少しでも小言を言われたのだろうか。そのあたりはまったく記憶に残っていない。どこへ帰ればいいんだとぼんやり考えていたことは思い出せるが、それ以外はわからないままだ。産後二十日目であまりの痛みに胃カメラまで飲んだ胃が、また痛み始めていた。

 その後、わたしたちはやっぱり今のままでは暮らせないと遅い決断を下し、部屋を解約してわたしは子供を連れて地元に戻った。彼は駅で、新幹線の扉の前で、発車するまで顔をくしゃくしゃにして泣いていたのを憶えている。わたしはやっとほっとして「帰宅」した。荷解きもあったし離乳食や検診なども控えていたので目まぐるしく、忙しくしていた。何度か彼はお金がないなりに地元に来てはくれた(帰りの切符は、わたしが買った)、ほんの少し滞在し、また「帰って」いっていた。その頃はなんとかわたしなりに、彼なりに模索していたと思う。どうやって暮らしていくか、彼にはプレッシャーばかりかかっていたのだろうし、わたしはわたしで、子供を死なせずに大きくさせないとということばかりを考えていたのだから、二度と重ならない二つの直線はどんどん角度を広げていた。

 夏だっただろうか。彼が地元に来た時、わたしは言ってはいけない(だろう)一言で彼を怒らせた。彼の顔は般若や阿修羅像のように目を見開き、歪め、これ以上ないくらい逆上していた。子供が盾にならないように、でも連れて行かれないようにと変な格好で庇っていたからだろう、何度も殴られ、腰に、背中に、目の周りに青痣を作った顔は思っているより痛みは少なかった。彼は拳ではなく平手で殴っていたから。彼には夢があったから。彼は……わたしは子供を抱いたまま家を飛び出し、近所の人に通報してもらい、警察にいったん保護された。彼は拘置所へ連れて行かれた。拘置所から来た分厚い手紙には、自分を擁護するようなことが書かれていたと思う。今もまだ持っているが、開くことはできない。多分二度と。結局起訴猶予となり、彼は彼の地元へ戻っていった。彼の友人が何度かわたしと連絡を取ろうとしていたが、わたしはそのどれも断った。そしてわたしは、また一人になった。誰にも相談できず、全てわたしが判断して、最良でなくても最善でなくても、選ばなくてはならなくなった。ひどく心細く、ひどく悲しく、でも肩の荷が降りたような(本当は肩の荷が増えたのだけれど、興奮していたのだと思う)、少しせいせいとした気持ちも、やっぱり味わっていた。

 その後、彼は夢を叶えた。わたしはなんの才覚も資格も全くないまま、子育てを始め、あの時の赤ん坊はもうすぐ十二歳になる。彼は立派に仕事をしているようで、取り決めた月々の養育費も滞ったことはない。年に二回は必ずメッセージと贈り物が届くし、折々のメッセージも昔のように……会った頃と同じように紳士的だ。夏を超え冬を超え、子供はすっかり赤ん坊ではなくなったが、わたしはそれでも怯えている。わたしの中のわたし、彼の中の彼を子供は内包している。どうか生きやすく育ってほしいと思うたびに、彼の顔を子供の中に見る時もある。錯覚であればいい、でも、わたしにはわからない。わたしは彼の顔を子供の顔の中に見つける時、仕草の中に彼を見つける時、この先増えていくだろう。彼に子供を会わせた時、わたしの判断や決断が間違っていたのだと子供に思わせたくないというのは、わがままだろうか?今でも何度となく思う、わたしがクズだったからだろうか、わたしが間違っていたのかと。でもその都度、どんなことがあっても、暴力をふるってはいけなかった、わたしが彼の思った通りの人間でなかったとしても、彼はわたしを殴っていいなんてことは絶対にない。その点では彼は絶対に間違っていたと思い直す。わたしはあのことがあってからずいぶん臆病になった。人を愛することは出来ない、親切にすることが精一杯だろう。それでも大事にしたい人は何人かいる。何度夏を迎えても、迎えるたびにわたしは思い出すだろう。

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...