けれど、生身の人間に対しての崇拝はとても強い力が働くので、大抵わたしの方が根を上げてしまうし、関係をシャットダウンされる事を望んだ。時にはそうでなく嫌いになる事もあったが、概ね関係は途切れたのだから願いは叶ったことになる。呪いのようなものではないか?あまりにも自身の願いが強すぎて、呪いが跳ね返ってしまったような気もしてくる。
生身の人間は神様になることはできないのに、それでもその人の中に神様を探そうとして、わたしはその人を好きになったんだと今なら思う。そこにはいつも、その人(たち)はいなくて、わたしはずっと「神様」と名付けた完全体のわたしを探していたんじゃないだろうか。いつか、誰かが言っていた「人は完全な球体になるために相手を探す」という言葉を都合よくねじ曲げるように、完全な「わたし」になるために人を探していたのではないだろうか。それはなんて淋しく、悲しいことだろう。愛することひとつも知らないままに、ただただ呑み込める相手をふらふらと探し求めていたなんて。存在しない「神様」に出会う日をずっと待っていたなんて。
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