2017年3月11日土曜日

「乙女ごころの君」

 わたしの中にある乙女ごころの権化のような、「乙女ごころの君」がいた頃があった。こことは別に閉じてあるウェブ日記に「彼女」は毎日ではないにしろ、何かにつけエディタを開いて文字を打った。本を読んだ日、読まなかった日、映画を見た日、泣かなかった日、電話をした日、夜中じゅう壁を睨んでいた日、どの日もいつも別の日だったからだ。日記という一枚の敷布に、一針ずつ縫い進めるように文字に落とし込んだ。ほとんど全て自分の為。「乙女ごころの君」はそういう傍若無人さを持っていた。多少の装飾はしていたものの、それは「彼女」のその時の本心として定着したと思うし、そうするつもりで日記を書いていたようだ。それだけで幸せだったのだと今は思う。

 その頃の日記の中の「彼女」は、ささやかでもよかった、心根が美しくさえあればといつも願っていた(これは今もあまり変わらない)。時に悲しみに暮れ、時には喜びを讃え、明日が続く前提で今日の日記を書く。今日見つけたよきもの、今日感じたさいわい、今日あった鈍いかなしみ。したたかでしなやかでかろやかでありたかった、それが理想の「乙女ごころの君」なのだから。日記はいつだって、「今こそ書くとき!」と、微熱のようなやわらかい(けれど確かにそこにある)熱意を持って書かれたものだった。

 わたしの中の「乙女ごころの君」はわたしと別れ、深く遠いどこかへ、旅に出ている。またいつか会えるね?

Maidens−薄荷塔日記

2017年3月8日水曜日

ひつじ

 今日も、子どもを抱いた。始まりから比べてみると、毎日驚くほどの大きさだ。手足は随分長く伸びたし、白目はまだうすあおいにしろ、身体からは甘い赤ん坊の匂いが全くしない、ふつうサイズの子どもを抱いた。ぷんとむくれていたからだ。膝の上に乗せて腕で背中を支える、赤ん坊を抱く姿勢で抱っこした。子どもはわたしの髪と首筋と胸元の匂いを確かめると、すうっと瞼を閉じる。わたしはその顔に自分の顔を寄せて、落としてしまわないように柔らかく抱きしめる。二度と戻らない日を思い出しながら、いずれ抱けなくなる日を想像する。ゆらゆらと抱いていると、子どもの体温とわたしの体温が混じり合って、気分が良くなった。そのまま子どもが眠ってしまったので、ベッドに入れてわたしはぬるいお茶を飲んでいる。

2017年3月5日日曜日

ゴロワーズを吸ったこと

 まだわたしが京都市に住んでいた頃、煙草を吸わない日はほとんどなかった。ちょうど二つ目の職場に勤めだした頃で、なんとなく吸えるんだろうなとは、吸う前から知っていたようにも思う。滑らかに煙は肺のあたりへ落ち、主に口腔から吐き出せた。秋だったと思う。けれど初めてにどの煙草を選んだかは曖昧で、日本の煙草だったか外国煙草だったか、メンソールだったかそうでないか、今はもうおぼつかない。ただずっと憧れていた煙草はあって、それは是非とも吸ってみたかったから、すんなりと煙を取り込めた事は嬉しくもあった。蝋燭に火が灯る程度の、ささやかさで。 

 わたしが憧れていた煙草というのは、ジタンだった。お洒落なフランス的な何かに強く憧れていた頃だったので、フランスの煙草がいいとずっと思っていたし、住んでいたアパートから大きな通りへ下ると、それを叶えてくれる自動販売機があったからだ。自動販売機には日本の煙草の他に外国煙草や葉巻も、確か置いていたように記憶している。そこにジタンが置いてあった。わたしの煙草を吸うきっかけは本当に些細な、背伸び、憧れからでしかなかった(しかしいずれそれは、長く暗い夜を過ごすための戦友にもなった、それが錯覚だったとして、どうして当時のわたしを責めることができるだろう)。
 ジタンは、煙の中で踊り子が扇を振っているイラストで、ブルーのパッケージ。このブルーはサファイアのような深みのある青だったように思う。箱は確かスライド式で、煙草そのものもフィルターも短く、咥えると少し太く感じた。煙草が巻かれている紙は少し粗悪さを感じさせる薄さで、味についてはとにかくからい。薄いインスタントコーヒーを飲みながら、買った分はどうにか吸った。

 例の自動販売機で適当に毎日の煙草を選ぶようになってから、少し経ち、いつも繁華街で気になっていた煙草の専門店へ赴いた。店内に入るのにはまだためらいがあったので、店外の自動販売機でゴロワーズ・レジェールとブリュンヌを見つける。ゴロワーズがフランスの煙草だということは、その時にはもう知っていたので、迷わず買った。ブリュンヌは両切りで、レジェールはチャコールフィルター付き、他にアメリカブレンドされたボックスパックももう売っていたのではなかったか。
 ゴロワーズは水色のパッケージに、銀色でロゴと、羽が付いているとんがり兜のイラストが描かれている。よくある煙草の長さ、太さではあったが、巻いてある紙はジタンよりさらに薄かった。ぺらぺらどころかふにゃふにゃで、日本の煙草はぎゅっと巻いてあってはつはつしているのだけれど、煙草本体がしなびているようにも感じるほど。そして匂いはとにかく臭い。素面ではとても吸えないんじゃないかと思うくらい臭かった。それもそうで、黒煙草という葉を乾燥させてから堆積発酵させたものだったし、その香りこそがゴロワーズの特徴でもあったからだ。

 止めればよいのに苦心して飲み物を色々変えて試したら、コーヒー(薄くてもまあよい、アメリカンくらいでも)とならまあそれなりに、というくらいに感じられるようになる。鼻ほど慣れやすい器官もそうないのではなかろうか。だんだんそのムッとする匂いが、なくてはならない香り(ただの習慣、ニコチンへの依存だったとしても)に変わり、いつしか煙草はそれでなくてはね、と味がわかってる風に思うようになった。最高だった、コーヒーの香りとゴロワーズに火をつけた瞬間、ちりっと紙とともに葉が燃えて、甘やかな香りが広がる時が。あの俳優も吸ったのかもしれない、憂鬱そうに眉間にしわを寄せて小雨の降る街のカフェで。できればその火はマッチがよい、箱入りではなくブックマッチのような、粗雑な、すぐに無くしてしまうくらいのかろやかさのちゃちな。煙草が燃え尽きるまではそんなに長い時間ではない。その間にできることなどほとんどない、一杯のコーヒーを飲み干すことも。でも、恋に落ちるくらいなら出来るんだと、まだ盲目的に思っていた頃、わたしはゴロワーズを吸っていた。わたしが暗く長い夜を過ごした時も、ゴロワーズは側にあった。それがただの習慣だったとしても、みっともない依存だったとしても、その火を温かなものだとほっとしながら朝を迎えたわたしを、支えてくれたことに違いはない。

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...