2017年4月23日日曜日

けものがり

 手負いのけものはひたすら身体を丸め、傷の回復につとめる。安易に近寄ると牙をむく。気合とかそういうもので治るものではないので、動けるまでただひたすらに安全な場所で身体を休め、眠り続ける。それと同じ。ただどうしようもなく生きることをやめてしまいたいと思うときは誰にだってある。それがたまに強く出る。これはよくない兆候なのだとなんとなく自分でわかる。臭いがする。やまいのにおいだ。でもまだ本当の限界じゃない、引き返せる。そういう時は眠るに限る。

 馴染みのベッドに潜り込んで身体を丸めて、わたしの中にある野生を信じて眠る。必ず目が覚めて立ち上がる事ができると、わたしはもう知っている。

2017年4月21日金曜日

ランゴリアーズ

 自分でも驚くほどに具合が良くなくて、体調はそこまで落ちていないのだけれど、体力がぱあになった感じがする。というのも、コツコツとスイミングプールに通って、ちょっとした気持ちの不調は泳ぐ事でなんとなく解消していたのだけれど、この頃はずっとさぼっているからだ。夜のスイミングプールで泳いでいたなんて、今では遠い昔のような気もし始めている。とにかく頭が回らないし、この残酷な四月の光に照らされて、とろけていくのだった。まったくもってぽんこつなのだ。肉体がここにある限りは生きなければならないのだけれど、嫌な過去の思い出だけが鮮やかに立ち上ってくる。辛い事や悲しい事はたいてい春に起こった。春の光の中で起こったのだ。目の前で繰り返される思い出はぎらぎらと大きく鮮やかになり形を持ち始め、こちら側のわたしの影が薄くなっていく気がする。昼の光が残酷になってきた分、夜は優しいと勘違いしてしまう。夜は優しいのではなくただ拒まないだけで、わたしはそれに甘えている。どこかへふらっと出ていきたくなるけれど、選びようがないのでここにいる。虚無?いいえ、そんなに大きなものではないけれど、でも空っぽね。"no where"

 x年前のわたしの背中を押しても、多分同じ事をしたと思う。y年前のわたしの背中を押しても、やっぱり変わらなかったと思う。同じような事をして、似たような結果を繰り広げたと思う。でももし、とも思う。もちろんその結果訪れる未来(つまり今)は変わっているのかもしれない。結局いつだって過去のわたしを慰めるために、未来のわたしを励ますためのものだ、書いたものも書くものも……どれだけ強い輝きだとしても、未来からの光は過去を変えない。せいぜい哀しみに酔うくらいでしかない。でも今から未来へ光を放てば、過去からの光は届くかもしれない。いつか遠くない未来(もしかしたらずっと遠い未来)に。ランゴリアーズに食われてしまう前に。一筋の光が時空のかすかな裂け目から漏れる一縷の望み、或いは消えかけたオーロラ、ニックたちが突入したあの光へ到達する道筋になって現れるかもしれない、虚無に食われてしまってはだめ。だからこそ今、いまを生きなければと思う。未来のわたしへ、ここがそう、今だ。"now here"

ニックはロスアンゼルス発ボストン行きのアメリカン・プライド二九便に乗り合わせた客で、同便に乗り合わせたうち、飛行機内で眠っていた乗客のひとり。(『ランゴリアーズ』スティーヴン・キング/文春文庫)

2017年4月20日木曜日

ロ・リー・タ

 初めての香りは、二十歳になる前に自分ひとりで選んだ。香水を使う習慣も、自分の為の香りも全く存在しなかったが、憧れはずっとあった。まだそれほど魔除けの護符の必要性を知らなかったし、でも憧れることは浅ましく恥ずかしいことだと思っていた。そういう習慣を当たり前に持つ人がいたとしても、わたしにはそれを知る由もなかった。ずっと若いうちからそういう習慣を持つのは、物語の中の裕福で血の気の少ない少女か、イメージの中の都会に住む美しく豊かで、何もかもに疲れている少女にしか、許されていないのではないかと思っていたからだ……。

 世界はわたしサイズの小さなものだったから、名前を持たない不安に似た怪物はまだ見えていなかったし、あちらから見つかっているとも思わなかった。香りという形を持たないまぼろしのようなものを纏ったところで、名前を持たない不安に似た怪物(邪眼のような)から見据えられるのを避けられるとは、今は全く思っていないが、当時は逃げ切れると思っていた。この名前を持たない怪物は、だいたいいつもわたしを飲み込もうとする。それは鏡を通してやってくる。わたしはそれと常に戦い、勝ち続けなければ生き残れない、丸腰だとしても。それなら初めから”彼ら”に見つからないに越したことはない。だから護符は多い方がいい。

 小さい学生アパートで、ある日わたしは買ってきた香水をひとりで開封した。自分の為にひとりで選んだ香りは確かロリータ・レンピカ。現実世界では生きていたくなかった。本からのみ立ちのぼってくる物語の中でしか、生きていたくないと思っていたわたしに、ロリータ・レンピカがあるのはとても物語的だったし、心強かった。淡い紫色のガラスでキャップは金色で……蔦が這うような装飾の苹果型のボトル。包むように持つと、ガラスの涼やかさが手に移る、両手で持つには丁度いい丸みだった。狭い部屋にはそぐわない木製のチェストの上に、捧げ物のように飾っていた。胸を詰まらせるほどに甘く、やわらかな苦味。これはわたしの楽園の果実!わたしを名前のない怪物から隠してくれるかもしれない……。 

 わたしにとっての香水は魔法のようなものだ。人からわたしを隠し、名前を持たない怪物からわたしを隠してくれるような。幾つもの香りを選び、使い終わり、また新しい香りを手に取ってきた。これこそはきっとわたしを助けてくれるだろうと思いながら、でも一度もそうならなかった事には失望していない。物語もまた同じ。わたしを人の中に隠し続けてくれはしないし、物質的に豊かにしてくれる事はないが、それでも諦めきれるほどの魔法ではないのだ。魔法ってそういうものでしょ。ほんの少しだけ生きる手立てになったり、苦しみを和らげてくれたり、最期に見る風景を美しいものにしてくれるような、そういうささやかで、役には立つか立たないかはわからないし判別するものではなくて、美しいもの。ほんものの光には敵わなくても、でも明るいものだわ。

2017年4月5日水曜日

第十二レース(場外馬券売り場)

「なんというかエキセントリックで」
 エキセントリック!今時その言葉を使ってわたしという一人を定義しようとするなんて、わたしの方が驚きだ。わたしに向かって真摯な態度を取ろうとしているのはわかった。何を言いたいつもりなのか、もじもじではあるがゆっくりと言葉を選ぶその態度こそがわたしを、苛立たせる。面白いことを言うのね、わたしは初めて、あなたの冗談で笑えそうだ、心から。是非その続きを聞かせてくださらない。

「……御し難い」
 自分は騎手で、わたしは馬だという意味でいいのだろうか?わたしたちは楽しく走るコンビでありたいと願っていた。だからこそわたしはあなたに騎手であって欲しがったことは一度もないし、あなたもそれを知っていたはずだと思ったのだけれど。よしんばわたしが才能のない暴れ馬だとしても、あなたは、まったく無能とは言わないけれど優秀な騎手ではない。優秀な騎手ほど、馬にお任せ、馬七、人三、あわせて十。走る馬は走るし、走らない馬は何をしても走らない。才能のない暴れ馬を御せるのは(しかし勝ちは難しい)、現役なら東西で約二名しか思い付かない。まさかとは思うのだけれど、あなたは自分がその騎手たちに並んでいるとでも言うのだろうか?

 こういうことを言いたがる相手は、わたしの正面にいながら必ず視線を外す。今わたしが正面からあなたを見つめている態度に対して、まるで狂った馬がいて、その馬は蹄で地面を掻き、突進しようとしている、目を合わせると隙を生む、と思っているように見える。それも間違っているとは言わないけれど。何故ならわたしはいつも黙って行うから。手元のストローの袋を所在無げにもてあそび、汗をかき始めたアイスコーヒーのグラスを傾け、唇を湿らして次の語が出てくるのをあなた自身も待っている。それがあなたの誠実さだ。わたしはいつまでも過去にこだわっていて、奔放でしかいられないわけではない。それはあなたがわたしをそう定義した瞬間からであり、あなたの中での小さな変化であり、常に黙って”受け入れている”ように映っていたわたしの中では、だいたいいつも何も変わっていない。

 いつあなたが(強いて言うなら凡庸で、派手な勝ち鞍もないが落馬もしない)騎手になって鞭をくれ、いつわたしが(出走ゲートに派手に体当たりし、レースをかき乱す)暴れ馬になったのだろう。今日はわたしたち二人の引退レースになるとでもいうの?わたしたちはいつも二頭の裸馬だったというのに。そして並びながら前に後ろに走っていたのに。(了/編集4.7)

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...