2017年4月20日木曜日

ロ・リー・タ

 初めての香りは、二十歳になる前に自分ひとりで選んだ。香水を使う習慣も、自分の為の香りも全く存在しなかったが、憧れはずっとあった。まだそれほど魔除けの護符の必要性を知らなかったし、でも憧れることは浅ましく恥ずかしいことだと思っていた。そういう習慣を当たり前に持つ人がいたとしても、わたしにはそれを知る由もなかった。ずっと若いうちからそういう習慣を持つのは、物語の中の裕福で血の気の少ない少女か、イメージの中の都会に住む美しく豊かで、何もかもに疲れている少女にしか、許されていないのではないかと思っていたからだ……。

 世界はわたしサイズの小さなものだったから、名前を持たない不安に似た怪物はまだ見えていなかったし、あちらから見つかっているとも思わなかった。香りという形を持たないまぼろしのようなものを纏ったところで、名前を持たない不安に似た怪物(邪眼のような)から見据えられるのを避けられるとは、今は全く思っていないが、当時は逃げ切れると思っていた。この名前を持たない怪物は、だいたいいつもわたしを飲み込もうとする。それは鏡を通してやってくる。わたしはそれと常に戦い、勝ち続けなければ生き残れない、丸腰だとしても。それなら初めから”彼ら”に見つからないに越したことはない。だから護符は多い方がいい。

 小さい学生アパートで、ある日わたしは買ってきた香水をひとりで開封した。自分の為にひとりで選んだ香りは確かロリータ・レンピカ。現実世界では生きていたくなかった。本からのみ立ちのぼってくる物語の中でしか、生きていたくないと思っていたわたしに、ロリータ・レンピカがあるのはとても物語的だったし、心強かった。淡い紫色のガラスでキャップは金色で……蔦が這うような装飾の苹果型のボトル。包むように持つと、ガラスの涼やかさが手に移る、両手で持つには丁度いい丸みだった。狭い部屋にはそぐわない木製のチェストの上に、捧げ物のように飾っていた。胸を詰まらせるほどに甘く、やわらかな苦味。これはわたしの楽園の果実!わたしを名前のない怪物から隠してくれるかもしれない……。 

 わたしにとっての香水は魔法のようなものだ。人からわたしを隠し、名前を持たない怪物からわたしを隠してくれるような。幾つもの香りを選び、使い終わり、また新しい香りを手に取ってきた。これこそはきっとわたしを助けてくれるだろうと思いながら、でも一度もそうならなかった事には失望していない。物語もまた同じ。わたしを人の中に隠し続けてくれはしないし、物質的に豊かにしてくれる事はないが、それでも諦めきれるほどの魔法ではないのだ。魔法ってそういうものでしょ。ほんの少しだけ生きる手立てになったり、苦しみを和らげてくれたり、最期に見る風景を美しいものにしてくれるような、そういうささやかで、役には立つか立たないかはわからないし判別するものではなくて、美しいもの。ほんものの光には敵わなくても、でも明るいものだわ。

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