2017年4月21日金曜日

ランゴリアーズ

 自分でも驚くほどに具合が良くなくて、体調はそこまで落ちていないのだけれど、体力がぱあになった感じがする。というのも、コツコツとスイミングプールに通って、ちょっとした気持ちの不調は泳ぐ事でなんとなく解消していたのだけれど、この頃はずっとさぼっているからだ。夜のスイミングプールで泳いでいたなんて、今では遠い昔のような気もし始めている。とにかく頭が回らないし、この残酷な四月の光に照らされて、とろけていくのだった。まったくもってぽんこつなのだ。肉体がここにある限りは生きなければならないのだけれど、嫌な過去の思い出だけが鮮やかに立ち上ってくる。辛い事や悲しい事はたいてい春に起こった。春の光の中で起こったのだ。目の前で繰り返される思い出はぎらぎらと大きく鮮やかになり形を持ち始め、こちら側のわたしの影が薄くなっていく気がする。昼の光が残酷になってきた分、夜は優しいと勘違いしてしまう。夜は優しいのではなくただ拒まないだけで、わたしはそれに甘えている。どこかへふらっと出ていきたくなるけれど、選びようがないのでここにいる。虚無?いいえ、そんなに大きなものではないけれど、でも空っぽね。"no where"

 x年前のわたしの背中を押しても、多分同じ事をしたと思う。y年前のわたしの背中を押しても、やっぱり変わらなかったと思う。同じような事をして、似たような結果を繰り広げたと思う。でももし、とも思う。もちろんその結果訪れる未来(つまり今)は変わっているのかもしれない。結局いつだって過去のわたしを慰めるために、未来のわたしを励ますためのものだ、書いたものも書くものも……どれだけ強い輝きだとしても、未来からの光は過去を変えない。せいぜい哀しみに酔うくらいでしかない。でも今から未来へ光を放てば、過去からの光は届くかもしれない。いつか遠くない未来(もしかしたらずっと遠い未来)に。ランゴリアーズに食われてしまう前に。一筋の光が時空のかすかな裂け目から漏れる一縷の望み、或いは消えかけたオーロラ、ニックたちが突入したあの光へ到達する道筋になって現れるかもしれない、虚無に食われてしまってはだめ。だからこそ今、いまを生きなければと思う。未来のわたしへ、ここがそう、今だ。"now here"

ニックはロスアンゼルス発ボストン行きのアメリカン・プライド二九便に乗り合わせた客で、同便に乗り合わせたうち、飛行機内で眠っていた乗客のひとり。(『ランゴリアーズ』スティーヴン・キング/文春文庫)

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