2009年11月26日木曜日

「夜」という名前の夜

 小さく絞ったボリュウムに、さらにイヤホンを重ねてつけて、音が漏れないようにひっそりと音楽を聴いている。人がひとり眠っているだけでこの部屋は随分静かだ。夜が、部屋中に充満している。とても気持ちがよい。

 子どもはまだ昼の世界しか馴染みがない。この世界の、昼と夜のシステムを「寝る」ことと「外に遊びに出る」ことくらいでしか、計っていない。その潔さがまた、清々しい。大人になるってほんとうに面倒ね。夜が怖くなったり、するんだから。子どもはまだ夜を怖がることはない。夜という暗闇も怖がってはいない。それでもひとりぼっちになることは怖いらしく、自分に何かを言い聞かせるように黙って玄関を見て、誰も外に連れて行ってくれないことが確定すればきちんと諦めている。

 しばらくは、私は夜を、たった一人でやり過ごさなくてもいい。ひとりぼっちだった頃の私にとって煙草は、夜を生き抜く為の銃剣だった。でも、もうそんな風に煙草を吸うこともない。しばらくは。

 愚かな娘だった頃の私にとって本は、生活をごまかす為のブランデーだった。それは今もそう変わらないけれど、それでも、少なくとも私の心を奮い立たせてくれる。酩酊の所為でも、気持ちはいいのだから、良いことだろう。気持ちのいいことは大抵、私を堕落へと誘うけれど、その分とても紳士的で優しい。

 寝息を聞きながら、ページを捲る。静かな部屋で、起きているのは私一人。夜はまだ目覚めたばかり。

2009年11月21日土曜日

水の女神たち、雨に咲く

  主に使っている部屋は西と南に窓があり、南側は掃き出しになっていて、晴れた日には光が良くはいる。西側は普通の、なんの変哲もない窓が付いていて、海が近いものだから風が良く通る。


 西側の窓の側に置いてあるプランターに、今日、ネリネが咲いていた。
数日前から咲いていたのだけれど、改めて「今日」と強調して言うのは、今日私がその花を「ネリネ」だときちんと認識した日だからだ。私がネリネを「ネリネ」と認識して初めて、私が見たネリネは「ネリネ」として咲いた。

 ところでネリネの咲いているところを見ていると、小さい子どもらが「あーん」と口を開けて甘いものを強請っているようにも見えて、そういうところが、可愛い。花は人に似ているので、側にあると落ち着かなくなるためあまり好きではないけれど、見ていると面白い。たまにだらしないのや威張っているのがいたりして、花の多い庭は幼稚園や、井戸端会議を思わせる。

2009年11月19日木曜日

海と白昼夢

 数日ぶりに晴れた。けれど雨が冬をそこら中にまき散らしてしまったので、空気はもう11月ではなく、冬のそれになっている。

 朝、空と言わず世界中が白いのもそう。冬だからだ。大きな牛乳瓶の中に町ごと沈んでいるような、うっとりと窒息していきそうな冷たい空気の中、私は窓を開ける、毎朝。

 私の移動手段の殆どは自転車で、私はそれをまずまず気に入っている。煙草をすっかりやめたので呼吸もとにかく楽だし、少々きかん坊な娘相手の育児と家事のおかげで、すこしずつ体力も付いているらしい。妊娠する前の、あのがりがりした不健康体とは違って、身体全体にうっすらと脂肪が付いているので、逆に動くのが楽なのだ。

 抱っこおんぶ紐で娘を背負い、ペダルをぐっと踏み込むと、空気をきちんと入れておいたタイヤがつうっと地面を滑り出す。滑らかに静かに穏やかにそれは始まり、すこしずつ加速していく。

 町の中へと出るには海の側の道を通るより道はない。昔から変わらない景色だ。変わりかけた景色もあるけれど、おおよそ変わってはいない。たまに釣り人もいる。穴場らしくちょくちょくいろんな人が釣り竿を持って糸を垂らしているのだ。

 今日の海辺には、海を見ているひとがいた。

 それまで自転車を漕ぎながら歌っていた鼻歌もやめて、そっと通り過ぎようと思いながら、半分好奇心でそちらを見たら、そのひとはひとではなく朽ちかけた杭だった。けれど確かに見ていたのだ、そのひとは。彼(彼女?)は一人で海を、じっとしずかに、すこし頭を垂れてーーあの「晩鐘」の男のひとようにーー海を見ていたのだ。

 何故だかとても、犯しがたい雰囲気を荒らしてしまいそうで、もともと海など見ていなかったように視線をスライドさせ、ペダルを力一杯踏み込む。自転車はそれに合わせて速度を増して、景色が後ろへと移っていく。あれは本当に朽ちた杭だったのだろうか。人ではなく、杭だったと私は言い切れるのだろうか。杭は、やはり海を見ていた。

2009年11月18日水曜日

聖堂にて

 本があるところは、すこし埃っぽい匂いがする。それはとても甘く、柔らかく、同時に香ばしい。冷たいが同時に温かで、さざ波のように声が聞こえる。誰かの。遠い過去からの。近い未来からの。
 本があるというその点においては、私にとっては懐かしく親しい場所なのだ。そこが初めての場所だとしても。

 古本屋や図書館はインクと紙とそれらの入り交じった建物の、落ち着いた埃っぽい匂いがする。それに、よく日に晒された紙の匂いも。

 新鮮な埃っぽさというだけで、それは新刊書店でも同じこと。もっとも、新鮮なのは雑誌売り場の匂いで、文芸書やそれほど動きのない棚は、落ち着いた匂いがする。どちらも、私にとってとても好きな部類の匂いだ。

 今でこそ身軽には行けないけれど、新刊書店でもリサイクル本屋でも図書館でも、とにかく本のある風景が好きで、散歩を兼ねて出掛けた。図書館はしばらく通っていなかったので、その雰囲気に慣れるまで時間がかかったけれど、概ね館内で自由に過ごせるようになったと思う。今は、子どもを連れているので、自分の借りたい分は図書館のサイト上で確認して、短時間で切り上げている。それでもやはり図書館に足を踏み入れると、ふっともう一方の、子どもと繋いでいない方の手を握られる気がする。

 初めて図書室に入った小学生だった私に。行き場を求めて図書室に逃げ込んだ高校生の私に。人に恐れて、それでも人を嫌いになれずに憧れて、情報館から彼らを眺めていた大学生の私に。 

 人は去っていくけれど、本は去らない。それは幻想だろうか?それでも、構わない。本は裏切らない。未来の私が本を裏切ることはあっても。全てにおいて誠実な生き方をしたいと思わせているのは、私にとっては未来の象徴である子どもと、過去の証である本たちである。そこに親たちは含まれない。なぜなら親たちは既に私の一部であるからだ。

本を読むならいまだ
新しい頁をきりはなつとき

紙の花粉は匂ひよく立つ

そとの賑やかな新緑まで

ペエジにとぢこめられてゐるやうだ
本は美しい信愛をもつて私を囲んでゐる

室生犀星「本」

2009年11月17日火曜日

鏡ちゃん

自分という人間の底の浅さや嫌らしさ
醜さや卑しさや浅はかさを含めて
許してやれるほど、
私は私を愛していない。

この肉体が滅ぶ日までそれは続くけれど
そのことについてのみ
私は絶望していない。


明日がくることすら許せないまま
鏡の国のさかしまことばを鏡にぶつけて。

もっと醜く!もっと卑しく!!もっと下卑て!!!

2009年11月13日金曜日

ウィトゲンシュタイン様 御許に

 子どもがいる生活が段々当たり前になってきた頃、喃語を発する子どもを前に途方に暮れた。「途方に暮れた」と過去形ではあるけれど、事実上は現在進行形だ。会話が成立しない!話すことが好きでもなければ得意でもない私でさえ、そのことに気付いたとき呆然とした。かのじょの言うことが私にきちんとわかるだろうか?母親なのに、わからなかったらどうすればいい?


最近は少しずつ意味のあるようにも思える言葉が口から漏れている。でも、表情や仕草と合わせなければ、正解しない。私が意図せず発している言葉を、道ばたにかりかりと落ちている枯葉のように拾い上げているのだろう。かのじょにとっては、私たち周りの大人が発している言葉も、玩具のようなもの。それが後々よいものになるのか悪いものでしかなかったかは、まだわからないけれど。

かのじょの言葉は、言葉以前の言葉。言葉と声の境界線が曖昧で、まだそれらがさまざまな意味を持っているということを、深く理解しているかはかのじょからは聞き出せない。今は、私がこうだろうなと思ったことをいくつか提示すると、子どもの方がそれに当てはめてくれるのだけれど、根本的には多分、子どもはもどかしいと思っているのではないだろうか……。自分がちゃんと喋っているのに、何故この人はわからないのだろう、と。

そもそも、子どもというのは自分だけの言語を、また子ども同士だけで通じる子どもだけの言語を持っているらしい。大人達にとっては、それらは自分の知っている音に当て嵌めて、さらにものの名前などに組み替えなければ通じない。けれども、かれらやかのじょらにとっては発したままの言葉で通じている。散歩の途中、近所の坊っちゃんが私たちに、「ぼくねえー、%$#がねえー、好き」と言った「%$#」は、一番近い音で「くさ」だったのだけれど、かれの言う「%$#=くさ」と、私が聞いた「くさ」は別物かも知れない。同じ音だけれど、かれと私の間には、暗黙の了解は存在していない。だから、どんなものかは私が想像で補完するより方法がない。それがすごくもどかしく、少し残念だ。かれの「%$#」を共有できないということが。同じようにまたかのじょととも、僅かなすれ違いを繰り返し、ことばを、世界を完全には共有できないのだろうということが。

そうでなくても、世界は孤独だというのに。


まるで、 胎児のようなことばたち。小さく丸く眠るように、子どもたちの奥深くで息づいている。
生まれてきたら、きっと、かのじょは驚くことだろう!世界はことばで溢れているということ、自分からもことばが溢れ出てくるということ、便利だけれど、でもすこし不便になってしまうことに。
生まれる前のことばたち。今はまだ、ゆっくり、夢を見ておやすみ。

2009年11月11日水曜日

温かな荒野

いつ頃からだったかは曖昧でよく覚えていない(そもそも、覚えておく必要がなかった)のだけれど、私は「孤独とは美しいものだ」 と思っていた(し、まだ思っている)。孤独というものもひとを癒すのだとも。ただ、真の意味での孤独というよりそれは、きっと「孤独っぽさ」という別物なのだけれど。

私は「孤独っぽさ」がすごく好きで、それはもちろん戻っていける場所があってこその「孤独っぽさ」が好きなのだけれど、それが凝縮されているような場所が、荒野だった。小高い丘に教会があって、そこから少々離れたところにぽつんと建っているような洋館か城が自分の住む家だったら!とよく想像した。そこから私を連れ出す人がいる、というのがそのストーリィの続きなのだけれど、当然、私はそれを断って一人静かに荒野にとどまるのだ!毎日、同じ風景をくもったガラス越しに眺める。その「残酷なまでの変化の無さ」が私への唯一の慰めになる。

通学するためには峠をひとつ、超えなければならない片田舎に住んでいた。だらだらと長い通学路をやり過ごすには、季節ごとに姿を変える自然だけでは足りない。だから、最終的に自分が閉じこもれる場所として、心の中に荒野を持つことにしたのだ。荒野という、その字面、イメージが、これ以上どこにも行けない、「行き止まりの甘い息苦しさ」や「遠くあくがれいずる魂」をよく現しているように思えたのだ。


その内に、エミリの『嵐が丘』に出会う。私にとってその本は、まるで奇跡だった。魂の行方を見ているような、それぐらいの衝撃。荒野に吹く風そのものになったキャスリンやヒースクリフは、私の心の荒野をも自在に駆け回り、それ故私の荒野はどんどん美しく研ぎ澄まされた。鈍く灰色に輝く空やヒース、ごつごつむき出した黒っぽい地面や転がっている岩、時折高く声を上げる野鳥たち。箱庭の中のように配置され、また排除され、荒野は荒野らしくなっていく。


そして今、心の中に誰も手出しできない荒野を持ったまま、少女はくたびれた女になった。 
よりどころをうまく見つけられない子どもも、時間が経てば自動的に大人になる。変化は嫌いだし、馴染むのにも時間のかかるという生きにくさは今でもついて回っているが、あの頃に比べたら少しはましな気がしている。それは「大人」「母親」という、子どもからすれば特権階級めいたものになったからだ。けれど、子どもを持ってもなお変わらない孤独は、ある。それは私がひとであるからだし、自分以外の誰にもなることが出来ないからで、子どもには関係のないこと。

私の心の荒野は私の憧れそのものであり、孤独の象徴、現実世界からの逃避先であり、自分だけの天国であり、また自身の墓でもある。温かく安全で守られていて、誰にも手出しできない、すばらしい荒野。そこで時折入れ替わる登場人物たちや私は、何度も生まれ生き、そして死ぬ。それを何度も想像する。美しい荒野で。私専用の、温かな荒野で。

2009年11月7日土曜日

十一月に現れる扉のこと 


「私にとっての意味というのはね、『十一月には扉を開け』ってことよ。
どっちがいいかって迷うような事があっても、それが十一月なら、前に進むの。
十一月に起こることは、とにかく前向きに受け入れようって、そう思うようになっちゃった。
だって、そのドアの向こう側って、光が燦々で、すごくいい所みたいじゃない?
扉をあけて、ぐんと進んでも、だいじょうぶなんだって気がするでしょう。…………」
高楼方子 『十一月の扉』リブリオ出版/新潮文庫



十一月の、何でもない日に新しく日記を始めることにした。
これまで使ったことのない場所で、全く新しく。
新品のノートに、なにか書くときはいつも手が少し、震えた。
なにを書いていいのかひとしきり迷ってから、とても素晴らしいことを書くのだと意気込んだ。
そして、どうでもいいことを書いた。あとから必ずほんの少しだけ後悔するような、どうでもよさのことを。
ノートを新しく買う度に、同じ事を繰り返している。ここもそうなるかもしれない。そのうちにわたしの身体に馴染むことを願って。


追記

ラベルについてのメモ
「はじめに」  :前置きとしてのご挨拶
「クランブル」 :思うことのつぶやき(ついったーではない)
「デイズ」   :日常の、その日の、出来事を書く
「フィラメント」:小説に似せた文章のもの、散文、作り事、習作、嘘

私の日常は、こうやって書き出された時点でフィクションになってしまいますが、書き出されたものそのものはフィクションにならない。

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...