2021年4月25日日曜日

美しい馬・ヤマニンアラバスタのごく個人的な記憶

「私がもっとも好きだったウマはミオソチスである。この馬は夕日に映えた葡萄酒のような毛色の美しい牝馬であった。」と書いたのは寺山修司だ。

わたしにもそんな馬がいる。最もかどうかは、まだ分らない。
馬の名前は芦毛のヤマニンアラバスタという。アラバスタというのは雪花石膏、透けそうで透けない乳色の鉱物で、柔らかく彫刻に向く。寺山を真似するとしたら、「濡れたアスファルトに新しく降った雪のような毛色の、美しい牝馬であった。」なんちって。

美しい馬、と言うだけでは生き残っていけない競馬の世界で、何がそんなに、とも思うけれども、華奢で、うっすらとかいた汗の為に天鵞絨ふうに見える首筋が美しい。始めて京都競馬場で“彼女”見たのは秋華賞だった。ほどよく日は傾いていて、逆行の中で見た“彼女”の鬣は柔らかく輝いていた。

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ヤマニンアラバスタはすでに引退し、一頭限りの牝馬(今は孫娘が現役だそうだ)を残してもう死んでしまった。メラノーマという芦毛の馬におこりがちな病気で、2013年の夏の日に。

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 わたしの短い競馬場通いは、好きだった人が亡くなった後、初めて目的を持って一人で外に出た京都競馬場から始まった。ダービーの日だった。ダービーは府中競馬場で行われるので、その日その場でG1競走を見ることができるわけではなかったが、それでもよかった(競馬場にはターフビジョンがあり、どでかいテレビで中継を見ることができるのだ)。ずっとその人と約束していた場所に、とうとう立つことができたというそれだけで、わたしははっきりと不在を知り、納得したのだった。

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 過去、共に競馬場によく通っていた知人から「『ウマ娘』というソシャゲが最高に面白いからぜひやってみてほしい」というメールが来た。とうとう来たか、ついに知ってしまったのか、と思った。そう言うだろうと思っていたしその通りだった。彼はわたしが擬人化をあまり好きではないこと、キャラクターの元ネタになった牡馬や牝馬に、別の物語が発生すると多分ひどく混乱することを知らない。彼に勧められてやや無理矢理に始めることになったダービースタリオンさえ、目の前の馬を育てることができないことに苛立ち、早々にやめてしまったことも覚えていないだろう。

 キャラクター一覧を見ると、現役時代に華々しく活躍していた名前、懐かしい名前もあったがわたしが好きだったアラバスタはそこにはいなかった。ヤマニンアラバスタはG1を制したことがない。だからきっとこれからもここに彼女の名前が出ることはないし、できればあってほしくないわたしは少しホッとした。心のどこかで、アラバスタはあの芦毛のままの姿でなくてはならないとわたしは思っているのだ。擬人化されキャラクターになって、“自分”が消費することを恐れている。今だって既に、わたしの中で『ヤマニンアラバスタという芦毛の牝馬』として消費し続けているような気がしている。思い出すことで。記憶していることで。

 昔だって、2ちゃんねるに『ヤマニンアラバスタたんが可愛い過ぎる件について』というスレッドが立ち、皆そこでカワイイカワイイと書き込んでいたが、わたしはどうしても書き込めなかった。とてもいやらしい事のように感じてしまって(今となってはスレッドの住民とともに「カワイイカワイイ」と言えば良かった気はする、だって本当に可愛らしかったのだから。でもその時はできなかった)、スレッドを細目で見ていることしかできなかった。それくらいわたしにとって特別美しい馬だった。現実の女たちに対して……あるいは好き「だった」女友達に対して取ってしまう態度と同じくらい……わたしは同性の友達を特別視しまた天使のようにすぐ取り違えてしまうので、いつもうまく距離を取れなかったから……。

 彼女は、わたしの中でややキャラクター化してしまっているのに、ほんもののキャラクターになった途端に、メラノーマでこの世から去ってしまったヤマニンアラバスタを、あのストーリーではない道があったのではないのか、と期待して身勝手に彼女を蘇らせようとするのではないかと恐れている。

 わたしはレースをあまり回顧しなかったし、できなかった(彼女のレースに限らない)。レース映像を見るたびに、現地で(または競馬場のターフビジョンで)観たレースそのものを上書きしてしまうことがわかっていたからだった。観ることができなかった。上書きしてしまうことが怖い。上書きしてしまったら元の記憶そのものが(わたしにとって、であり他人のことはわからない。補強することができるのかもしれない、何度も観ることで。でもわたしはその訓練ができていないし、できそうにない)劣化してしまう。もうわたしの記憶からどんどん離れて、映像としての記録でしか残らなくなってしまうのではないか。他人はそうでなくても、わたしはそうなのだ。なにせわたしは頭が悪いから、留めておくことができない。

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 わたしが今でも一番好きだと思う馬はヤマニンアラバスタという芦毛の牝馬だ。鬣がほんのりクリーム色でロシアンブルーのような芦毛が、年を追うごとに白くなっていく美しい馬だった。細身で紫色のメンコがよく映えた。輸送でガレるからか、あまり関西のレースには来なくて(彼女の所属は美浦、関東の馬だった)、でもそれでも好きだった。週刊Gallopだっただろうか、馬房で上半身だけ起こして何かを見ている彼女の写真が載っていて、それを見て、わたしは彼女が好きだ、と思ったのだ。寺山修司がミオソチスに対して持っていたほどの感情とは言えないが、それでもわたし(あるいはまた、彼女のファンたち)にとっては特別な一頭だったことには変わりはない。

 雪が積もるように白くなっていく芦毛は、記憶の中でより白く、白くなってゆく。

2021年4月21日水曜日

君とよくこの店に来たものさ

山にほど近い学校で大学生をしていた頃、学内でコーヒーショップを開いていた人がいた。その「お店」が開くのは学園祭でもオープンキャンパスの日でもない、特別でない日。ハンプティ・ダンプティの「お誕生日でない日」に、その「お店」は開くのだった。特に晴れた日。雨の日はお休みだっただろうか?もうずいぶん昔のことなので、記憶が曖昧だが、薄曇りの日に彼が「お店」の開店準備をしているのを、食堂の掃き出し窓から眺めていた日もあったと思う。


彼とは司書過程の講義が一つ二つ重なっていただけで、積極的に話をしたことはなかった。その頃わたしには何かと厳しい恋人がいて、恋人を通してしか人と話をしてはいけなかったから、学内のほとんどの人と話すきっかけはなかった。恋人がたまたま興味を持った人、恋人と同じゲームをする人(恋人はテーブルトークRPGを好んでいたし、わたしもプレイしていた)、恋人と同じゼミの人……とにかくわたしから彼に話しかけることはほとんどなかったと思う。でも、知っていた。彼は情報館でアルバイトをしていたし、時々同じ講義をとっていたし、目にかかる髪の毛はふっと頭を振って顔からよけることを。時折黙礼を交わすような、その程度の知り合いだった。

彼が手動のミルを使ったり「お店」をオープンするためのこまごまとした何かは、全て儀式のように見えた。わたしはそれをいろいろな場所から見ていた。食堂の二階のラウンジから、情報館三階の窓際の席から、非常階段(当時非常階段や草むらで自作の弁当を食べることにはまっていた)へ向かう道すがら。

まだ二十歳そこそこで、コーヒーの味もよく知らないお子様だった。インスタントコーヒーしか知らなかったし、ミスタードーナツで飲むのはアメリカンにお砂糖とミルクを混ぜたものか、ポットでサーブされる紅茶くらい。だから一度も彼の「お店」でコーヒーを飲んだことはない。一度くらいは飲んでみたかったんだと思う。恋人を通してではなく、自分から望んで。そうでなければ記憶に残らないから。しなかったこと、できなかったことはたいてい記憶の中で輝く。彼の のコーヒーも記憶の中では琥珀色をして輝いている、いつまでも。

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...