2020年1月20日月曜日

ゴーストになる時

 自分が幼稚園や学校にいた頃、別にみんなと仲良くしたくなかった。わたしはわたしの世界が大事だった。髪が長かったので触られたり、筆箱を見られたりする(それが仲の良いもの同士の仕草だった)のは嫌だった。でも、当時の学校では「クラスメイトは仲良くする」事が当たり前だったので、なにも言わず黙って従った。

 黙っていた方が追い出されもせず仲良くしている風に見えると理解したのはいつ頃からだっただろう。それで乗り切れたのは中学までで、何故なら小中学校の規模が小さく見知った顔の中で約十年過ごすからで、わたしは言葉少なく若干内弁慶でもそういう者として見過ごされてきたからだ。それが通用しなくなったのは、公立高校に進学したとき。

 公立高校ではいくつもの中学から生徒が集まり、入学した途端にクラスではコロニーが出来上がっていた。黙っていればいない者になる場所で、早々とその「いない者」という冠を「いただいた」時に、「クラスメイトは仲良くする」なんて、わたし以外の誰かにだけ都合のいい魔法の言葉だとわかった。

 この事を少しでも漏らすとよく勘違いされるのだが、「自分から仲良くなろうとしなかったんでしょ」と言われる。そうではなく、早々とレッテルを貼った者たちはそれを剥がして貼りなおすことはしない。だって既に貼ったもので十分見分けがつくし、排除する候補にあげる時、都合よく使いたい時に便利だから。

 喋る必要がないから黙りがちだったし、騒々しいクラスの中でシャットダウンする事もしばしばあったわたしは、クラスの中のエアポケット、備品、いるけどいない、いないけどいる亡霊になった。

 この世界は、馴染めさえすればその過剰さも心地よい刺激に溢れた世界なのだろうけれど、亡霊には色も、音も、光も過剰すぎる。とにかくいつも人がいて、会話するのが当たり前過ぎて、いきぐるしい。どこかほんとうに、砂漠のプスティニアのような場所で、一人立っていたい。光の中に行けなくてもいい、静かな場所で亡霊の生を全うしたい。

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...