2023年2月7日火曜日

おとなのためのやさしい童話

風呂でブラッドベリの『歌おう、感電するほどの喜びを!』を少しずつ読んでいる。


ブラッドベリは本屋の平台に──多分四条のジュンク堂か三条のブックファーストか──あった新潮文庫の『ふたりがここにいる不思議』が初めてだ。それははっきり覚えている。あの時はまだ三十路にはまだ遠く、でも二十歳はとうに過ぎていた。その後「再会」したのは、確かチョコレートについてのアンソロジーの中ではなかったか。そのアンソロジーの中では「板チョコ一枚おみやげです!」が紹介されていたはずだ。青年と神父が告解室で交わす会話で物語が進む。板チョコはその物語の中で第三の登場人物のような位置にある(と、思っている)。二度も偶然があればそれは完璧な出会いなのだと思う。運命のようなもので逃れられるはずはない。


以来ことあるごとに、例えば十月には『10月はたそがれの国』を読むように、繰り返し出会う対象ではあったが、それが心から待ち遠しくてしていることなのか習慣としてそうしているのか、だんだんと曖昧になってしまっていた。それでも図書館の書架に未読のブラッドベリがあれば借りるし文庫本があればやはり買って読まずにはいられない、心のどこか一部分をキュ、と細い糸で縛られているかのように、ふらふらとその糸のようなものを辿らずにはいられないのだった。


最近新しく買ったそれはサンリオSF文庫を全て紹介していたブックリストに紹介されていたもので、児童文学作家で翻訳家でもある故・今江祥智が翻訳したこともあるという。知っている名前がふたつもある!と小躍りしたがとうの今江氏翻訳のものが他の自治体の図書館を含め見つけられず、別の訳者のもの。けれど初めてブラッドベリの短編集を開いた時のような、ささやかだが確かに何かのスイッチが押されたような、遠くで扉が開いたような、「音がした」のだった。


ところで蛇足のように付け加えておくと、表題作「歌おう、感電するほどの喜びを!」には母を亡くした三兄妹の家に、ロボット(つまりAIが搭載されているのだろうか?)のおばあさんがやって来る。なんでも出来て遊びも上手いが主人公の少年の妹はなかなかおはあさんを受け入れることができない。ロボットのおばあさんと人間である彼らの交流を時におかしく、時にノスタルジーをふんだんに織り込んだ筆致で描いている。

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