2011年5月30日月曜日

ファンタジエン

 七十八年九月の、ある日の夕方。みかん色の夕陽を、手術室に入る前に母は見た、と言った。だから名前は“茜”にしたかったんだけどね、といつも言う。母の出産日、私の誕生日の事は必ずそれが、一セット。その日その時間が、私と母の永遠の決別だった。私たち、ではなく、母と私。私は諸手をあげて世界へ出た。背骨を丸め、脚を腹にぴたりとつけた、死と生とのあわいで知った安心出来る姿勢から、文字通り切って開かれた世界へ。世界から拒まれる事も知らずに。世界を愛する事も知らずに。

 〇八年七月のある朝、私は一人の赤ん坊を産んだ。骨盤をめりめりと広げながら、ゆるやかに降りてくる胎児を押しとどめようとしながら、でも押し出そうとしていた。どうにかして!身体が割れる!それは嫌!分離する、やめて、淋しいから!けれど途端に分娩室の灯りが眩しくなって、目を開けたら、子どもは生まれていた。内側の私を引き摺って出てきた子どもは簡単に身体を拭かれて、それから泣いた。それが私の生んだ子どもとの、決別の日。私たちではなく、私と、娘。

 涙の谷を作った二つの山はいつも、マグマのように祈りと、怒りと、愛おしさと、哀しみを延々と沸き立たせていた。骨の内側の辺り、本当はそこに骨はないのだけれど、その辺りからぐつぐつと沸き、出口を求めて辿り、吹きこぼれる。熱くて痛い。赤ん坊は私と別の匂いがした。決別しているのだから当り前だが。甘く柔らかく、少し酸っぱい。そしてほんの少ししょっぱい。一日一日が、出会いの日で、別れの日。

 全く何の日でもない日に——それを、ハンプティ・ダンプティは誕生しない日と呼んでいたっけ——唐突に思い出す。いや違う、思い出す時はいつも、とうとつ。風の吹く日に思い出した事。あたしたちはえーえんにわかれた。

2011年5月29日日曜日

小鳥

 喉の奥で小鳥を閉じこめているような、そしてその喉で小鳥が飛び立とうともがいているような、そういう息苦しさ。行き苦しさ?生き苦しさ。喋っていても聞こえてくるのは、私の声なのに、私の声ではなく。瓶の内側から聞こえてくるような、くぐもっていて妙に丸みがかっていて、時折それが鋭く聞こえることもある。蓋が外れて瓶の口から漏れ出てきたような。

 どちらが私の声かは知らない。どちらとも私の声だから、私以外の人には、きっと分らない。でも、私の声って一体なんだろう?

 喉の奥の小鳥はいつか飛び立つ?私を置いて行ってしまう?行かないで!私の喉が潰れてしまってもいい、ここに居て、いつまでももがいていて。小鳥の声が、私の声。小鳥を失ったら、私も声を失うだろう。

2011年5月23日月曜日

「マルガリタはラテン語で真珠の事ですよ」と神父さまは仰った。

 私の洗礼名は「コルトナのマルガリタ」で、乙女殉教者の聖マルガリタとは別の女性だ。わざわざそのメジャーな聖人の名前を選ばなかったのは、その頃、私は“幸せな”妊婦になる事はないだろうと思っていたからだ(乙女殉教者マルガリタは妊婦の守護者でもある)。実際幸せな妊婦にはなれなかった。それを悔いているわけではない。私がその時、神様を忘れた事を悔いてはいるが。もう一人のマルガリタは放蕩者、娼婦だった。幼いうちに実母と死に別れ、実家を飛び出るまでは継母に虐げられる。城主の妾として数年過ごし、その間に子どもも産んでいる。城主が殺されると再び実家に戻るが実父からも継母からも酷く拒否された。彼女が最後に助けを求めたのはコルトナの町の修道院で、そこで初めて受け入れられ、神に仕えともに生きる悦びを知る……。

 何処ででも、泥水を舐めても生きていけるんじゃないかと思っていた。実際はでも、何に受け入れられたいのかも知らないまま、日々ふらふらと生きていただけ。高潔なふりをしていただけ。いい加減、何処に行っても「ここじゃない」、「これは間違っている!」と思いたくなかった。「間違っている」というのは、私が決して幸せになれない事ではなくて、私が、「間違っている」と思う事が間違っている、という事。ブラッドベリやカーヴァーのようには辻褄が合っていないという事。

 途切れ途切れに続けていた聖書の勉強に本腰を入れたのは、トウキョウへ上京してからの事だ。練馬区と杉並区と中野区が入り乱れる場所にあったその部屋は、下井草教会が随分近かった。千川通りをひょいと超え、左手側にコンビニエンスストア、右手側に畑を見ながら住宅地を進む。右に曲がると、ミントグリーンの尖塔、白い壁の教会が現れる。何とかなりそうなギリギリの家賃で、仲介業者からたった一軒だけ提示されたそのアパートの傍に、教会があるとは!きっとここが、私の探していた真珠の門だ。他の店を回る事もせずに、ほとんど即決で金を下ろしてその部屋を借りた。引越が落ち着くとすぐに教会へ出向いた。洗礼を、今度こそ受けると決めていた。

 降誕祭が近づくと、毎週水曜日の午後の教理問答もいよいよ終わり、洗礼式の為の代母も決まった。洗礼式の前に、数々の後悔も、希望の為に知った絶望もここで洗う為に、私の、もう一つの名前を決める。私は成人洗礼になるから、自分で選び自分で決めた。それが「マルガリタ」だった。長身で、淡いブルーグレイの瞳をした東欧出身の神父さまは、それを聞いて「とても良い名前を選びました。マルガリタはラテン語で真珠の事ですよ」と仰った。ミルク色に輝く真珠の核は、真珠層を持った貝には異物でしかない。けれど真珠層が幾重にも包み、元の異物ではなく真珠になりますね。そして私たちは真珠の門を通って天国へ行きます。後悔していることがある、哀しみを忘れられない、と初めに私に言ったあなたは、その名前を選びました、と。

2011年5月22日日曜日

基準の鳥

 エミリ・ディキンソンの歌の基準は、こまどり……。
 五月もるうるうと勢いづいている。晴れた日は草木が発する甘ったるい若葉の匂いで、息が詰まるほど。湿度は温度を友にして上昇し、二日後に大抵雨となって落下する。海に落下した彼らはまた大気に紛れ、草木に宿る。終わりのない永遠の運動だ。暑いだの蒸すだのと不平を、言うほどの事でもない、永遠に比べれば何だって瑣末な出来事。

 山も近く海も近い場所にある実家で暮していると、鳥たちが時間の基準になる。夜明け前に時鳥、朝いちばんは、燕。その次に烏と雀。明けきってしまえば、イソヒヨドリ、ヒヨドリ、セグロセキレイ、鳶。川まで出れば、そういえば鷺がいる。漁連の近くだと鴎、鳶。日暮れ前にまた燕と雀、そして夜。

 何を基準に生きていればいいのか、分らなくなった。鳥たちのように基準の歌を持たない私は、一日のうちにめまぐるしく変わる曖昧な基準の中で、息が上がってしまいそうだ。ああ、歌を忘れた金糸雀だったら、海に出て、忘れた歌も取り戻せるものを。

その花をつままくときは とことはにすぎさりにけり

子供の頃、多分まだ年齢が一桁だったころ、れんげ畑でイベントがある(そう大それたものではないと思うが、田舎には娯楽がない。子供の頃は、嘘みたいに続くらしい人生に退屈していたし、それはわたしの顔に常に出ていた)とどこからか聞いてきた母が、家族で出かけようと計画をした。心踊る計画ではな...