エミリ・ディキンソンの歌の基準は、こまどり……。
五月もるうるうと勢いづいている。晴れた日は草木が発する甘ったるい若葉の匂いで、息が詰まるほど。湿度は温度を友にして上昇し、二日後に大抵雨となって落下する。海に落下した彼らはまた大気に紛れ、草木に宿る。終わりのない永遠の運動だ。暑いだの蒸すだのと不平を、言うほどの事でもない、永遠に比べれば何だって瑣末な出来事。
山も近く海も近い場所にある実家で暮していると、鳥たちが時間の基準になる。夜明け前に時鳥、朝いちばんは、燕。その次に烏と雀。明けきってしまえば、イソヒヨドリ、ヒヨドリ、セグロセキレイ、鳶。川まで出れば、そういえば鷺がいる。漁連の近くだと鴎、鳶。日暮れ前にまた燕と雀、そして夜。
何を基準に生きていればいいのか、分らなくなった。鳥たちのように基準の歌を持たない私は、一日のうちにめまぐるしく変わる曖昧な基準の中で、息が上がってしまいそうだ。ああ、歌を忘れた金糸雀だったら、海に出て、忘れた歌も取り戻せるものを。
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