2011年5月23日月曜日

「マルガリタはラテン語で真珠の事ですよ」と神父さまは仰った。

 私の洗礼名は「コルトナのマルガリタ」で、乙女殉教者の聖マルガリタとは別の女性だ。わざわざそのメジャーな聖人の名前を選ばなかったのは、その頃、私は“幸せな”妊婦になる事はないだろうと思っていたからだ(乙女殉教者マルガリタは妊婦の守護者でもある)。実際幸せな妊婦にはなれなかった。それを悔いているわけではない。私がその時、神様を忘れた事を悔いてはいるが。もう一人のマルガリタは放蕩者、娼婦だった。幼いうちに実母と死に別れ、実家を飛び出るまでは継母に虐げられる。城主の妾として数年過ごし、その間に子どもも産んでいる。城主が殺されると再び実家に戻るが実父からも継母からも酷く拒否された。彼女が最後に助けを求めたのはコルトナの町の修道院で、そこで初めて受け入れられ、神に仕えともに生きる悦びを知る……。

 何処ででも、泥水を舐めても生きていけるんじゃないかと思っていた。実際はでも、何に受け入れられたいのかも知らないまま、日々ふらふらと生きていただけ。高潔なふりをしていただけ。いい加減、何処に行っても「ここじゃない」、「これは間違っている!」と思いたくなかった。「間違っている」というのは、私が決して幸せになれない事ではなくて、私が、「間違っている」と思う事が間違っている、という事。ブラッドベリやカーヴァーのようには辻褄が合っていないという事。

 途切れ途切れに続けていた聖書の勉強に本腰を入れたのは、トウキョウへ上京してからの事だ。練馬区と杉並区と中野区が入り乱れる場所にあったその部屋は、下井草教会が随分近かった。千川通りをひょいと超え、左手側にコンビニエンスストア、右手側に畑を見ながら住宅地を進む。右に曲がると、ミントグリーンの尖塔、白い壁の教会が現れる。何とかなりそうなギリギリの家賃で、仲介業者からたった一軒だけ提示されたそのアパートの傍に、教会があるとは!きっとここが、私の探していた真珠の門だ。他の店を回る事もせずに、ほとんど即決で金を下ろしてその部屋を借りた。引越が落ち着くとすぐに教会へ出向いた。洗礼を、今度こそ受けると決めていた。

 降誕祭が近づくと、毎週水曜日の午後の教理問答もいよいよ終わり、洗礼式の為の代母も決まった。洗礼式の前に、数々の後悔も、希望の為に知った絶望もここで洗う為に、私の、もう一つの名前を決める。私は成人洗礼になるから、自分で選び自分で決めた。それが「マルガリタ」だった。長身で、淡いブルーグレイの瞳をした東欧出身の神父さまは、それを聞いて「とても良い名前を選びました。マルガリタはラテン語で真珠の事ですよ」と仰った。ミルク色に輝く真珠の核は、真珠層を持った貝には異物でしかない。けれど真珠層が幾重にも包み、元の異物ではなく真珠になりますね。そして私たちは真珠の門を通って天国へ行きます。後悔していることがある、哀しみを忘れられない、と初めに私に言ったあなたは、その名前を選びました、と。

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