七十八年九月の、ある日の夕方。みかん色の夕陽を、手術室に入る前に母は見た、と言った。だから名前は“茜”にしたかったんだけどね、といつも言う。母の出産日、私の誕生日の事は必ずそれが、一セット。その日その時間が、私と母の永遠の決別だった。私たち、ではなく、母と私。私は諸手をあげて世界へ出た。背骨を丸め、脚を腹にぴたりとつけた、死と生とのあわいで知った安心出来る姿勢から、文字通り切って開かれた世界へ。世界から拒まれる事も知らずに。世界を愛する事も知らずに。
〇八年七月のある朝、私は一人の赤ん坊を産んだ。骨盤をめりめりと広げながら、ゆるやかに降りてくる胎児を押しとどめようとしながら、でも押し出そうとしていた。どうにかして!身体が割れる!それは嫌!分離する、やめて、淋しいから!けれど途端に分娩室の灯りが眩しくなって、目を開けたら、子どもは生まれていた。内側の私を引き摺って出てきた子どもは簡単に身体を拭かれて、それから泣いた。それが私の生んだ子どもとの、決別の日。私たちではなく、私と、娘。
涙の谷を作った二つの山はいつも、マグマのように祈りと、怒りと、愛おしさと、哀しみを延々と沸き立たせていた。骨の内側の辺り、本当はそこに骨はないのだけれど、その辺りからぐつぐつと沸き、出口を求めて辿り、吹きこぼれる。熱くて痛い。赤ん坊は私と別の匂いがした。決別しているのだから当り前だが。甘く柔らかく、少し酸っぱい。そしてほんの少ししょっぱい。一日一日が、出会いの日で、別れの日。
全く何の日でもない日に——それを、ハンプティ・ダンプティは誕生しない日と呼んでいたっけ——唐突に思い出す。いや違う、思い出す時はいつも、とうとつ。風の吹く日に思い出した事。あたしたちはえーえんにわかれた。
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