梶井基次郎 闇の絵巻
梶井基次郎の「闇の絵巻」が好きで、何か考えることが途切れると、つい闇の中にはいって行く男の後ろ姿を見ている彼を想像している。
小さい頃、あるいは小学生の頃、闇は身近だった。朝、わたしたちは集落にも似た住宅街から、小さな峠を越えて学校へ歩いていく。峠と言っても大げさなものではなく、雑木林を切り開いて、アスファルトを敷いただけ(所々、木々の根のために盛り上がっている)の道。
片手側に生い茂った雑木林、もう片側は小さな崖の間ににょろりと這うように作られた小さな道だった。雑木林側はいつも暗かった。小さな崖も覗き込めば薄暗かった。朝の白い光の中であっても、闇はそこかしこにあった。
冬、日が早く暮れる頃になると申し訳程度の外灯がつくけれど、頼りなく小さなあかりでは暗がりが見通せるほどではなく、この頃からわたしは、わたしたちは暗い山道を、闇を、耳鳴りとも思える獣の声を、聞いた気になりながら歩いていたのだった。
闇の中では自分の規則正しく前にだけ繰り出している足元だけを見る。それ以外を見れば、のまれそうになるからだしいっそのことのまれたくなるからだ。ふわふわと山へ入っていく人の気持ちは、あの頃に知ったのだと思う。
前にも後ろにも誰もいないことを知りながら、後方の闇は見ないように(だってもしもその闇を見たら、振り向いた瞬間にランゴリアーズみたいに闇が世界を飲み込んでしまって、わたし以外無くなってしまうかもしれないじゃない?)、ランドセルの肩ベルトを握りしめて前方の闇へ。
学校にも闇はあった。特に木造校舎の頃は闇が多かった。教室の隅は薄暗かったし、トイレは明かりがついていても暗かった。
普段使われない理科室、美術室、図書室へつながる廊下も明かりがついていることは少なく、闇の向こう側にまだ世界があった。特別教室が使えるのは高学年になってからだったから、早くその闇を超えてそちら側へ行ってみたかったし、そっとその辺りを歩くこともあった。薄暗い廊下を照らす蛍光灯は、いつ見ても薄暗く、確かに闇の向こう側に世界はあったが、自分と同じ地平と時間軸の世界だったかという確信は、今も持てない。
大人になってから、夜遊びのためにふらふらと街へ出たり車で夜を走るよりも、子供だった頃の方が、ずっと暗闇に近かったし親しかった。今、親しいつもりでいるのは闇ではなく、ただの、夜。
2019年5月28日火曜日
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