しだれ落ちる凌霄花の家が、保育所のすぐ近くに一軒、工場と実家の間に一軒ある。夏は、ヴェールと言うよりはケープに近い濃い緑に覆われた家をちらと横目で、目視して通り過ぎる。ああ、と思う。ああ、遠いいつかに、外側ではなく内側からあのこぼれ落ちる……刺繍のように鮮やかな花を見たはずだと、思う。 本当は見た事など一度もないというのに、畳敷きの部屋の内側、腰の高さの窓から、胸から上だけを覗かせて見たことがあるように、思う。
いったい古い家屋と濃い緑との、危うく怪しい抱擁がこちらに沸き立たせるあの、ノスタルジアともレミニセンスとも区別し難い……それは蜃気楼に似ている気がする……淡い感情を抱かせるのはなぜか。私が学生だった頃、ある街のある細い通りで、古いのに古くない石造りの病院があって、その壁には蔦がつるつると登り詰めているのを見た。あれを見たのも夏だった、夏の夕暮れ、ふくらはぎにアスファルトが吸った熱が這い上がってきた、夕暮れ。あれも私はずっと昔から知っていたはずの建物だった。それが通りを歩いている途中に生えたのだ。
夏はマボロシが立つ。誰かの、いつかの思い出の為に。
生という生が発熱し放熱し発酵する。私はその匂いに中る。冬が遠い上方から私の近くへ“降って”、傍にあるものなら、夏は私の近くから私を通って上方へ“上って”遠ざかっていくものだ。
花が咲くように思い出が……あり得ない思い出が咲く。夏だ、夏だなあ。
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