子供の頃、祖父とはよく散歩をした。町内をぐるっとまわることもあったが、多かったのは遊具のほぼない、祖父母の家からすぐにある長い土手を登った先にある公園だった。建てられた慰霊の碑も二つほどあったと思う。そこを回って歩いたのだが、何故祖父が寄るのかわからなかった。祖父は黙っていたし、わたしも黙って歩き続けた。彼にとってあまり喋りたがらない孫はちょうどよかったのかもしれない。わたしはあれこれ聞かず、ただ黙ってついていく女の子だった。祖父母も黙っていたし、わたしもよく喋る子供ではなかった。それに祖父母は戦時中どんな暮らしだったかをほとんど、まったく口にしなかった。
一度だけ宿題のために、戦争のことを聞いたように思うが、濁されたのかはぐらかされたのか、祖父も祖母も黙ってしまい、これといった出来事を聞けなかったから、二度はしなかった。出来そうになかった。代わりに昔の硬貨や紙幣を貸してもらい宿題の代わりにした。言わないという事はそういう事なのだ。
母は完全に戦後生まれ、父は戦中の貧しい北の農村生まれで、わたしからでさえ戦争は遠くなってしまった。語る者がいなくなれば、でもなかったことになるか?それはない。語れなかった・語らなかった者の戦争がどんなものだったかは想像するより他にはないから、わたしはいつまでも想像してみるしかない。
でも、想像することをやめないでいたいと思う。そうする事くらいしか今のわたしにはできることが思いつかないが……それが何に繋がるか、何が出来るかは今もまだわからないけれど。
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