2020年8月7日金曜日

昏い記憶

 意図的にその記憶を消しているのかもしれない、なくしたものや手放したものが多すぎて、何をどういうつもりで「消した」のか、すっかり思い出せなくなった。手帳……たくさん書き込みをしていた、日記代わりの手帳が数冊あったはずだが、その姿をとんと見ない。

 夜を飛んだ飛行機のチケット(多分半券だろう、使ったのだから)を貼り付けていた手帳があったはずだった。ハードカバーで細身の、日記を書くといっても数行書けるかどうかの……青い太めのボールペンで、のたうった文字を書いていたはずだった。

 そうだ、確かその青いボールペンは、輸入雑貨を扱う店で買ったものではなかったか。毎年手帳を買いながら(予定がないので当たり前だが)なかなか書ききることのなかった手帳を一冊使い切った二度目の手帳ではなかったか。

 「あの日」以降にその手帳を、何度かめくっていたはずなのに、何を書いたのか、何を思っていたのか、全て吸い出されたように、記憶に残っていない。あるのは、確かに書いたという後付けの記憶ばかり……。

 東京に住みながら孤独に蝕まれてずっと引きこもっていた時も、モレスキンのノートにほぼ毎日何かを書いていた。切り抜きを貼って、持っているスタンプを押して、どうしてこの部屋からほとんど出られないのかと思いながら、こまこました字を綴っていたはずだ。二冊くらいはあったはずだ。

 でも、どれも今はもう見当たらない。捨てたことを無かったことにしようとして記憶から消したのだろうか?自分がしたはずの行動なのに、まるきり他人事のようだ。「消した」記憶の蓋が開くことがあるとすれば、それはいつだろう。その時わたしは何を思うだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿

滅びの王国

『すえっこOちゃん』という本を借りた。Oちゃんのほんとうの名前はオフェリアだけど、いつもOちゃんと呼ばれている。スウェーデンのある町に住んでいる七人きょうだいの末っ子で今は五歳。年上のきょうだいがいるのでおませさんだそう。奔放ではちゃめちゃだけれど、OちゃんにはOちゃんの理屈がし...