2010年5月15日土曜日

夜を越える飛行機(4)

     

夜を越える飛行機(1)
夜を越える飛行機(2)
夜を越える飛行機(3)

次の日に何をするか、飛行機に飛び乗ったときは全く考えていなかった。このまま帰ってしまってもいいとも思っていたけれど、それではなんだかつまらない気がしていたので、チェックアウトしてから市内へ繰り出した。路面電車が通っていて、街はクリスマスイブの興奮を残しながら少しずつ覚め始めたようで、けれども年末だということで人出は多い。揉まれながらその日に泊まる宿を確保して、車を借りた。海の方へ行こうと決めたからだ。

枕崎の郵便局で少しお金をおろしたのを覚えている。とても良く晴れていて暖かい日で、道ばたに猫がいたからだ。でっぷりと太ったグレイッシュな猫で、ふてぶてしい目つきをしていたけれど人を怯えない猫。今思えばあの猫は証人のようなものだ。私が確かに枕崎にいたという。そしてその日は彼もまた枕崎にいたのだという。

海は青くて広く、砂浜は白い。沢山の漂着物はほとんどがハングルで読めもしない。でもそれらを飽きずに彼は丹念に検分していた。持って帰るんだ、と言って気に入ったものを丁寧に海水で濯いで、きっちり水を切って。とても嬉しそうで、だからその姿に私は水を差せなかった。彼が持って帰るものは私の領分ではないのだ。彼が今楽しんでいるのも、同じように私の領分ではない。逆に言えば私がぼうっと海を眺めているのだって、私の領分なのだ。きちんとお互いの間には線があるようで、それを淋しく思ったことは特になかったのだから。

小一時間も遊べば段々身体に疲労が溜まる。そうでなくても私たちは疲れやすかった。とにかく体力がない。二人とも引きこもっているのと変わらないので、筋力も随分落ちていたのだと思う。切り上げて車に戻る頃は足取りもそれほど軽くはない。ぽんと彼が後部座席に放り込んだポリ袋には、ハングルの並んだコーラのペットボトルが入っていた。私はそのペットボトルに嫉妬した。何故かはもうわからないけれど。

その後の記憶は正直なところ曖昧で、確か鹿児島市内に戻ってから維新志士の記念館のような所へ行ったし、ビジネスホテルに入る前に買い込んだ、10%オフの甘ったるいクリスマスケーキも二人でせっせと食べたはずなのに、うっすらとしかもう思い出せない。確かに砂糖で出来たサンタクロースを押しつけ合ったのにーーそしてそれはざりざりしていて、ちっともおいしくなかったのにーーどんなごはんを食べたか、どんな道を通って鹿児島市内に戻ってきたのか、帰りの飛行機のことも、関空特急のことも。粉々になったビスケットのように、再び一つの形にはならないまま。無意識に封印しているのか本当に風化させてしまったのかはわからないが、消えているのだ。

それでもあれは、私の大冒険だった。一人では決して乗らない飛行機に乗って、夜を越えた。それまで睨み付けるように過ごしていた夜を、軽々と飛び越えたのだ。

次の年の四月に私が退院してから、彼とはずっと連絡が取れなかった。嫌な考えが胸の内に浮かび上がり、それを何度も押し込める。けれどもやはり、浮かび上がってくる。沈ませてもぼかり。目を覆ってもぼかり。そうしている内に、五月。彼は亡くなった。やっぱり一人で、行ってしまっていた。
軽々とはわからないが、本当に飛び越えてしまったのは、彼の方だった。

彼の実家に何とか連絡を取って新幹線に飛び乗ったとき、とてもおかしかった。その不在が。「私、今からあなたにお線香をあげに行くんですって」もし彼がいたらふん、ともへん、ともつかない返事をしただろう。退屈そうに、新幹線のシートに深々と座って。そしてしばらくしたら「ヤニ吸ってこよーっと。一緒に行く?」と怠そうに言っただろう。でも彼は現れない。いくら待っても、新幹線の中にも駅にもタクシー乗り場にもバス停にも。

彼のお姉さんが、「鹿児島に行ったときのことを、ずっと楽しげに話していてね。チケットも大事にとってあって、財布に入れていたの」と話してくれたとき、私はやっと泣いた。後にも先にもあんなに泣いたことはなかったくらい、泣いた。目玉がこぼれ落ちてしまわないのが不思議だった。いないのならいないと言えばいいのに、それすら言ってくれない。腹を立て、腹を立てる自分が醜くて、そしてまたまざまざと不在と対面して、泣き続けるしか出来なかったのだ。泣き疲れて眠って、泣きながら起きる日々を過ごし、けれどそれも半月ほどする頃には涙がもう出なかった。それでも顔を枕に押しつけて呻き続けた。季節だけが私の周りを過ぎていく。やけのやんぱちで過ごす日も、秋が来る頃には幾分収まって、また私は一人で過ごす冬を迎えた。二度と越えられない夜を私は何度越えようと思っただろう。私には越えられなかった。越えられないことがみっともなくてやりきれなくて、それでも結局越えられないままここにいる。


そしてまた今年も五月が巡ってきた。彼が飛び越えた五月。私が越えられなかった五月。緑がるいるいと盛んに色づいている五月。命そのものが萌える五月。

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