2010年5月15日土曜日

夜を越える飛行機(3)

  
夜を越える飛行機(1)
夜を越える飛行機(2)


バスに揺られている内に、だんだん街灯のある間隔が開き始め、コンビニエンスストアの白い灯りも減っていく。闇へ向かって走るバスに乗った私と、他に乗っているのは彼と、バスを悠々と操る運転手以外いない。この先にあるものはこの世ではないのかもしれない。いや、もう既にこの世ではないのだ……。自分の顔を鏡でぼんやりと眺めていると次第に自分の顔ではないのではないか?と思うような奇妙な浮遊感。それはまったく治まらずむしろバスが進むごとに加速した。自分が、座席からも浮き始めているような、そして浮いている自分を後ろから見つめているような、私が私から剥がれていくような。

別の座席に座っている彼はただじっと座っていて、運転手もただ運転席に着席したままだ。はやくこの夢から覚めたいと何度か思った。窓の隙間からすっと入ってくるよくわからない匂いが不安さを掻きたてる。なんだ、この匂いは……と思い窓の外を目をこらしてみる。周りに住宅は殆ど無くなり、ぽつんぽつんと大きめの建物が見えるばかりだ。

なんだ、黄泉だ。ヨモツヒラサカなんだ。もう心配はないんじゃないか。
黄泉なら黄泉でいいじゃないか。乗り合いバスで行けるなんて、なんという気楽さ!

ふうと一息ついてシートに背中をもたげる。ふかりとした臙脂のシートは柔らかく存外心地がいい。もうこのままここで寝てしまおうか、と考え始めたところでバスは停まった。自分の間の悪さは今に始まった事ではないが、こういう妙な間の悪さについては、私は多分ピカイチだ。ここが終点らしい。白い大きな建物は総合病院めいていて、夜だと存在感が増している。

二人ともが降りたのを確認してからまた、バスは発車した。空っぽのバスはまた戻るのだ、黄泉から。

れっきとしたホテルに宿泊をお願いすると、預かり金を要求されはしたが泊めてくれるという。地下に硫黄の温泉浴場があり、まだ開いているし夕食は今からでも摂れるとサービスマンが伝えてくれたので、軽いものを腹に収めてから、一旦部屋に入って風呂の用意をした。

硫黄の匂いがつんと鼻の奥をつつく。イザナギがイザナミを追いかけた場所にも、こんな匂いがたちこめていたのだろうか?次第に硫黄の匂いに鼻も慣れ、湯に身体を沈ませる頃にはうっとりとする匂いでもあった。私以外湯を使っている人はいない。壁一つ越えた向こうでは彼がいただろうが、全くの一人で深く深く息を吸った。硫黄の匂いが内臓にまで浸みていけるように。
 
浴場の側には温泉に付きものである遊技場があり、アイスクリームの自動販売機もある。もちろん卓球台もあった。風呂から上がってからそれで一通り遊び、アイスクリームを食べた。ハーゲンダッツで割増料金だったけれど、割増分は美味しかった。黄泉ではなかった。黄泉だったらアイスクリームはあってもハーゲンダッツまでは置いていないはずだから。

大体どれにも飽き始めた頃がちょうど同じだったので、部屋に戻って軽くお酒を飲んでから清潔なベッドで眠ることにした。仲の良い双子のように、二人ともが律儀にぷちぷちと銀色のシートから数粒の薬を出して、ペットボトルの水で流し込んで。別々のベッドできちんと並んで。眠る前に見た彼の瞳にはうっすらと後悔が滲んでいるようだった。けれども彼からは私の瞳に浮かんだ後悔を見ただろう。でも私たちは何も言わなかった。わ かっていたから口で言う必要はなかった。

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