2021年5月24日月曜日

オールドシネマパラダイス

 町にひとつだけ残った映画館の支配人がローカルニュースに出演していた。元々わたしが子供の頃は別館があったが、それもわたしがまだこの町で学校に通っていた頃になくなってしまった。

 映画を観る機会がひと月に一度以上あったのは京都に住んでいた頃のこと。レディースデイがあることもその頃知った。それまでは年に一度行くか行かないかだった。この町の映画館はわたしの住む家から遠いので自力で行くには不便だし、親に送ってもらう為には完璧な口実が必要だった。

 若い頃はお給料でよく映画を見に行っていたらしいが、母はあまり映画館を好ましく思っていなかった、と知ったのはかなり後になってからだ。母の話しぶりから推察すると、どうやら母自身が映画館で痴漢にあったらしい。そのせいなのか、とにかくわたしが家から離れることを嫌った(が、当時まだ子供だったわたしにそれらを伝えていないので、わたしは不当に制限されているらしいという不満しかなかった)。母は何かにつけて大声で指図するし機嫌が悪ければ八つ当たりする。そういう面倒な「母そのもの」に巻き込まれるくらいならと、口実を捻り出すほどの情熱も封切りされた映画に対して多分持っていなかったし、何か小言とも嫌味とも独り言ともとれるようなことを言われるよりも、最初から観ない選択の方が楽だった。だから少しずつ映画にほんのりと憧れることもなくなり、文字の物語だけに依存していった。

 残っているあの映画館も今ではないけど遠くない未来には……いずれはなくなるんだろう、と思いながら今は時々観に行く。子供の頃、年に一度だけ観せてもらえたアニメ映画を観に行った時にはぎゅうぎゅうだったロビーも観客席も、夜に観に行く時にはまばら。皆揃ってスマートフォンの画面を覗き込みながら入場を待ち、出てくる時も少し俯いている。

 売店は小さいままだし、他には飲料の自動販売機くらいしかない。什器も昔のままのように見える。あかりの灯る小さなポップコーンメーカーも、子供の頃食べてみたいと憧れた時からずっと変わらないように思えてくる。一人だけ鏡の国に入り込んだか、時の狭間に飛び込んだみたい。作り置きだから油が回り始めているポップコーンもそんなに美味しくはないけど、子供の頃食べてみたかったわたしを満足させるためだけに買って映画を眺めながら食べる。そして自分で車を運転して、映画なんて観ていませんという素振りで、家に帰る。

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