2010年10月24日日曜日

草の子

 百人くらい子どもが産みたい、と思っていた。そして産めるんじゃないかとも思っていた。だんだん身体の仕組みを知るにつれて、さすがに百人は無理だとわかったが、十人くらいなら、体力と経済力と精神力が許せば、産めるのかも知れないな、と思っていた。野球チームを作りたかったわけではないが、トラップ一家に憧れていたのかと言われれば、否定はしない。あんな風にたくさんの子ども達が、広い庭や広いお屋敷の中でくすくす笑いながら、歌いながら、時にはぽろぽろとお菓子をこぼしながら笑ったり、誰かが涙を流しても、それを慰め合えるのなら、とても素敵だろう。誰かと秘密を共有し合ったり、こっそりと悪戯の相談をしたり、喧嘩の仲裁をし合ったり、騒がしくてもそれは心地よい騒がしさだろう。だから沢山子どもが欲しかった。

 私には弟が一人いる。私たちがきょうだいになった途端、私たちはお互いに「ウマが合わない」と気がついた。とにかく寄ると触ると喧嘩する。喧嘩の種がなければお互いで作ったし、弟は泣き真似が異様に上手かったので、私が手を出した所為もあるのだがよく怒られた。お互いが成人してからも、同じ屋根の下に三日以上一緒にいると、どちらともなく避け始める。多分家族でなかったらまず一緒にはいられなかったのだと、わかり合っていた。だから余計に弟ではないきょうだいに憧れた。沢山きょうだいがいたら、その内の誰かとは気が合うかもしれない、と。自分の母親にはこれ以上のきょうだいは出来ないだろうと思っていたから、それなら私が産めばいいのだ、と。

 だから沢山産もうと思っていた。どっしりと落ちついたお母さんになって、沢山の子ども達と一緒に散歩したり歌ったりご飯を食べたり、夜は部屋一杯に並べられたベッドで皆が寝静まる頃にそっと、一人一人のおでこに、くちづけをしたかった。例えばミムラのお母さんのように。例えばふわふわしっぽ*のように(そういえば、どちらにも父親の影がほとんどない。そして私もそれを考えた事が無い。いつも私の中では父親的な者には顔が無い、ムーミンパパくらいしか)。

 「カテイノジジョウ」とやらで、この先子どもを持つということは、今いる一人娘の他には多分ない。実際にはそんな経済力も無いので、産めるはずも無いのだから夢物語どころか、眠る時に見る夢のようなものだ。家族でも相性があるのだと知った今ではそんな乱暴な事は望めないし、そもそも「カテイノジジョウ」なのだから。それでも時折はぼんやりと思う。百人の子ども達のことを。どっしりとしたお母さんになった私のことを。地面からにょきにょきと生えてくる沢山の子ども達のことを。


*『ふわふわしっぽと小さな金のくつ』

デュ・ボウズ ヘイワード
PARCO出版
発売日:1993-08

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