2020年12月10日木曜日

遠い海、輝く記憶

 十九、二十歳かそのあたりの歳の夏に、初めて京丹後の海へ行った。当時通っていた学校の学外施設がその地にあり、その施設に数人で泊まることになったからだった。海に面した場所にあるので、せっかくだから海水浴もしようというのだ。宿泊するメンバーにとってそれはちょっとした旅行のような感じだったようだが、わたしにとってそれは、旅行というより地元に帰ることと(距離的にも精神的にも)そう差はなかった。

 シーズン中だったはずだが、プライベートビーチ化していたのか、それともたまたまだったのか、海岸に人は少なかった。というかほとんどいなかった気がする。人がいないから海水も透明だったように思う。よく晴れていて眩しかった。わたしは太陽に目が眩んで波に足を取られたりもしたが、それも今では面白かった過去の一部になっている。その時溺れずに済んだのは、当時付き合っていた人が助け起こしてくれたからだった。

 海水浴をする、ぜひ海に入らなくては、という情熱はわたしには今もわからないでいる。当時も何故わざわざ海に入りたがるのかわからなかった。水着はいるし着替えもいる、日焼け止めかサンオイルが必要だし、上がったらシャワーを浴びなくてはならない(それでも砂は流しきれない)。海水に浸かって陸に上がると身体がとても怠くなる……上げていけばキリがないくらい、海水浴は「面倒」が先に立つ。

 わたしは小さい頃泳げなかったし、海から上がると身体中がべたべたするし砂でざらつくので、海水浴そのものは好きではなかった。けれど、海水浴は毎年数回行われる家族行事だった。父がそれを決め、母やわたしたち姉弟はそれに従うのみ。行く以外の選択肢は絶対に許されなかった。もしそうしたら父は静かにずっと怒りを燻らせただろうから。だからわたしが中学生になり、家族と距離を置き始める頃になってやっと離れることが出来た行事だった。

 海に入るのは好きではなかったが、海辺にいるのは嫌いではなかった。むしろ好きな方だったし、自分一人で行けるわけではなかったから、特別だった。夏の太陽の下で貝殻を集めたり砂浜を掘ったり蟹を探したし、浮き輪をつけて波間に漂っているのは面白かった記憶がある。積極的に楽しんでいたわけではなかったが、海での楽しみ方は見つけられていたと思う。

 わたしの住むこの町は、海に面した町だ。家から十分も歩けば釣り糸を垂らせる海がある。休日にフェリー乗り場や桟橋に行けば、大抵誰かが釣りをしていたし、今もそれは変わらないだろう。町の中心部に出るためには、海沿いの細い道を通って出るしかなかったから、自家用車の窓から眺める景色の大半は、やはり海だった。

 わたしにとって海は特別なものではなかった。いつでも側にあったし、またあり続けるのが海だ。けれど、記憶の向こうにある遠い海には、二度と行けることはない。車を自由に乗れるようになってから、時折わたしは海へ向かう。そういう時は海にしか行けないし、海に行くしかない時なのだ。スマートフォンの画像フォルダに溜まっていく写真のように、記憶の中に海が増えていく。いつも同じ、でもいつも違う遠い海。

0 件のコメント:

コメントを投稿

滅びの王国

『すえっこOちゃん』という本を借りた。Oちゃんのほんとうの名前はオフェリアだけど、いつもOちゃんと呼ばれている。スウェーデンのある町に住んでいる七人きょうだいの末っ子で今は五歳。年上のきょうだいがいるのでおませさんだそう。奔放ではちゃめちゃだけれど、OちゃんにはOちゃんの理屈がし...