2022年3月6日日曜日

エメラルドの都

 「図書館に何かはある」という期待というか安心感というものは、司書課程をとるまでは全くなかった。「図書館は本を貸してくれるらしい・宿題をするテーブルもあるらしい」程度で、子供の頃はほとんど、母の都合もあったから利用することはできなかったから、まったく何も思っていなかった。

 産後にこの町に出戻った時に、諸々の手続きを終えた後に向かったのは、利用者カードを作るためのカウンターだった。もしかしたら娘を連れて親子で本を借りる日が来るかもしれない(できればそうなってほしい)と思ったから。

 娘がある学年に上がった時、「調べ物学習」が宿題にプラスされるようになった。テーマを決めて模造紙に調べた成果を見やすくわかりやすく書き出すという宿題で、娘の興味というか宿題に使えそうな資料を全く持っていないわたしは、慌てて週末に娘を連れて図書館に駆け込んだのだった。

 とりあえずは辞典で調べてみて、検索機の示した分類番号からあたりをつけて児童向けの棚を探したが、数が多かったり逆に一切ないという事もあり、自力では時間がかかり過ぎる。この調べ物の宿題は順番に回ってくる(しかも複数回)と聞いていたので、平日の昼間を資料探しに使えないわたしは週末を待って、娘を連れてカウンターに相談に行った。この図書館のカウンターでは、司書課程の課題でもお世話になったのだけど、ぼんやりとした、子供の頭の中のテーマをスッと汲み取り、「これとこれとこれはどうでしょう」「これも関連ありますね」と資料を出してくれた司書さんにはずいぶん助けていただいた。

 わたしが「そうなってほしい」と思うほどには、娘は本に興味がない。それはそれでかまわないのだけど、なんでもネットで調べたら出てくると思っているところはちょっと危ういのかもしれないと時々思う。でもわたしも大学に入るまでは図書館のことを建物としてしか認識していなかったから、今は何も言わないでおこうと思っている。

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