2021年8月10日火曜日

書くこと、書かないこと、或いは煙草の効能について

 今年の五月はある人と別れて十七回目の五月だった。節目のような切りのいい年ではない。でも、もうそろそろやめなくてはならないとずっと思っていた事がわたしにはあった。ある人との思い出をどのような形であれ書くことは、わたしにとっては記憶の補強だとずっと思っていたが、本当はそうではなかったことに、気づいていながら目を背けていたからだ。記憶の補強のつもりで、記憶のオリジナルテープに何度も映像を録画し続け、オリジナルの記憶にノイズを混じらせる行為だった、と今では思う。いや、それには十年前には気づいていたと思う。何故なら古いTwitterのログにそれ──「記憶のオリジナルテープ」や「繰り返しダビングを続けたノイズ混じりの記憶」──について書いていたことがあるからだ。

 ある人の事を書かないと決めるのは、ある人との永遠の別れにこだわり続けていたわたしにとっては、とても難しい事だった。だらだらとウェブ日記で……Twitterで……何かしら彼にまつわるわたしの記憶を書き続けていたからだ。それをもう行わないのは禁煙に等しいほど、それほど「彼の思い出を語ること」に依存していたと思う。わたしは人と深く知り合うことを嫌っていたから、それでも自分の、みっともない意地、プライドの切れ端のような壁を超えてきた人はとても少なかったから、彼との思い出に浸ることがわたしの孤独を癒してくれたからだ。

 喫煙は薬物による依存症であって、何かの手助けなしに達成し続けることは難しい。ふとした時、ほんの一本吸いたい、一本なら大丈夫、だってわたしはいつだって禁煙を始めることができるのだからと心が揺らぎ、一本の煙草に火をつけてゆっくりと煙をふかす。口中にまろやかに広がっていく煙は鼻腔を突き抜けて脳天へ達する。その快感たるや!ニコチンのみが与えることができる快楽。そして一箱全て吸い切ってしまうのだ。そのスピードは本数が進むほど速くなる。煙草はわたしにとっていつも慰めだった。長い夜を一人で過ごすための友でもあった。それは全て錯覚、依存が見せる優しい夢でしかなかったが、それに縋りたくなるほどには、わたしは孤独だった。彼を失った後のわたしにとって彼との思い出は、喫煙を上回るほどに孤独を癒やし、またそれを加速させた。孤独ではない状態がどんなものだったのか、回想に浸りきったわたしにはもう思い出せなかった。

 今読んでいるナタリー・ゴールドバーグの『書ける人になる!』には、「物書きは結局、自分のこだわりについて書くことになるものだ。自分にまとわりついて離れないこと、どうしても忘れられないこと、自分の中にあって解き放たれるのを待っている物語……。(中略)また、大きなこだわりにはパワーがある。文章を書いているうちに、あなたは何度も何度もそこに戻ってくる。」とある。

 でも、そこまでこだわるにはわたしと彼は遠いのだ、きょうだいでもない、幼馴染でもない、ごく短い青春のいっときを過ごしただけの恋人……こだわるには彼とわたしは無縁すぎるのだ。どれだけ彼との思い出に立ち戻ってしまうとしても、もう書けないのだ。わたしが彼との思い出に縋る時、記憶を書こうとする時、それは彼を消費することと同じだからだ。彼の思い出にこだわり続けることが逆にわたしを何も書けなくさせているのかもしれない。書いてはいけないような気がしながら、罪悪感を常に持ちながら、「これ以上は彼を消費していることと変わりがないのだ」と自分を軽蔑しながら書くことに、どんな意味があるのだろう。だったら既にやめた喫煙を再開して、鈍る思考を首の上に乗せて、ただ時を消費している方がずっとましな気がする。だって書くことはもう一度人生のいっときを過ごす事だから、わたしは思い出すことで何度も彼を「うしなう」。これ以上は失い続けたくない。

 手許にライターはある、でも煙草はない。だから今日も彼の事を思い出しながら、思い出という都合のいい快楽物質に浸りながら、時を過ごしている。

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