2022年8月30日火曜日

マジックアワー

 久しぶりに日記の投稿エディタを開いた。昔は毎日(毎晩)のようにエディタを開いてはせっせと更新していたというのに、空いた時間はぼんやりと「やり過ごす」為にTwitterなどに費やされて、買ったり借りたはいいが読めなくて途中でやめてしまう本も増えた。昔は、「本があればどこへでも行ける」と本気で信じていた。でも最近は疑うことが増えた。本があっても、どこへも行けない者はまったく、どこへも行けない。留まることもできない、ただ景色がものすごく速いスピードで過ぎ去っていくのを眺めるのみ。そんなふうに思う。


 十年弱、身分上はパート、社内派遣社員、契約社員からの無期雇用契約社員という形で続けていた仕事は会社都合で退職となり、事務員ではなくなった。もともと町にある大きな工場に頼った仕事なので、元請会社が仕事を絞る(受注がなくなる)と、その下請であるわたしが在籍していた事務所など、風の前の塵に同じ。まず職人が減っていき、それから事務所が空くようになった工場は、わたしがいた最後の頃はとても静かだった。ひっきりなしに人が入ってくる為に常に開け放たれていた事務所の扉は、訪れる人がいない為に閉じることになった。コーヒーやお土産でもらった茶菓子をせびりにやってくる元請会社の偉そうな社員も来なくなったので、大きなポットに湯を沸かしておく必要も無くなった。処理する交際費や雑費も感染症対策としてかなり減っていたし、職人さんのお弁当の支払いに小銭を準備することも無くなった。職人さんが出張に出る機会が増え、詰所からは聞こえてくる声が減った。ずっと鉄が叩かれる音やクレーンの運転メロディ(「おおきなくりのきのしたで」だ)が風に流れて事務所に聞こえていたのが徐々に減り、溶接工場の隙間から漏れる火花も少しずつ消えてある日突然、薄暗く静かになったことに気がついた。空が広くなり、道が広くなった。フォークリフトももう走らない。だから別の仕事をしている。

 昔からの憧れだった仕事で有期ではあるが(つまり官制ワーキングプアのようなもの)、一生のうちに今しかないと思って飛び込んだ。結果よくわからない状況に毎日いる。「仕事をする」ではなく「仕事に振り回される」。そういう毎日を送っている。とはいえ今現在わたしはこどもともどもコロナ陽性になっており、必ず一度は不安に思うだろうことにやっぱり不安を感じて、じっと部屋で時が過ぎるのを待っている。夏の最後に鬼に捕まってしまった、どんくさいこどものような、そして誰もタッチをしに来てはくれないだろうなとわかっていながらも待ってしまう、あの嫌な気持ちでずっと過ごしている。匂いも味もなくなってしまったので、食が細くなってしまい痩せた。

 夏の真っ盛りの頃、ここにはもう少し違ったことを書いて残しておこうと思っていた。春に出かけた場所のことや、それより以前の、泣いて暮らしていた頃のこと、そういうことを残しておきたかった。でも、それはやっぱり今もできないでいる。昔の日記のように無邪気にキーが叩けなくなった。いいこともそうでないことも、書けなくなった。書いたら消えてしまうような、そういう些細な日常のことだから、より一層わたしには魔法の時間めいていて、一つでも漏らしてしまうとその時間ごと消えて無くなってしまうようで、怖いのだ。今は毎日、一粒も取りこぼさないように針先でビーズを掬うように、どうか繋がって、と今日をつなげている。毎日繋いだその「今日」が未来にどんなものになるかはわからない。恐ろしいものになるかもしれない。でも今はただ、それを掬うことしかできないからする。わたしは明日が怖い。今日と違う明日が恐ろしい。同じことを繰り返しても同じ結果になるかわからない明日が怖くてたまらない。ああどうか、今、羊羹をすうっと切るようにこの時間ごと世界を消してと、眠る前に思う。眠りたくもないし起きていたくもない、なのに今日を延長することができない。そういうあわいの時間にずっといる。

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