2010年6月11日金曜日

鶏頭の赤、橙、黄色

  子どもと散歩しているのは、かつて新興住宅地であり今でもその名残のある近所が多い。昔、私がこの子くらいの頃、この辺りがやっと開けてきて、いくつも竹の子かきのこのように家が建った場所だ。ここから小学校へ徒歩三十分かけて峠を超えて通い、住宅地のすぐ側に建つ中学校へ行くようになり、やがて町中の高校へ通った。町へ出る為には車が無くては生活出来ない場所だ。ここから西にある方の駅へも車で二十分弱、東の方なら三十分弱かかる。そんな不便な所に住んでいる。そうは言ってもちょこちょこと新しい家は建つ。そこに住む人がいる限り家が建ち車が並び、人の声が流れ生活が漂う。立派で大きな家が建ち、幸せそうな洗濯物が揺れている。その辺りを散歩するのだ。

あるお宅の家の前に、ちょこんと鉢植えの鶏頭があった。鶏頭には幾つか種類があるらしく、見かけたのは羽毛ケイトウと言うらしい。尖ったあかい鶏冠は懐かしい暴走族を思わせるのだが、ふわふわとしたそれは是非触りたくなる。けれども子どもの手前触りはしない。「よそのおうちだからね、ここまで」と言って、いつもかのじょを止めているのだ。

私は、一度、鶏頭を貰ったことがある。
鶏頭のあかく燃える花を見て、その日のことを鮮やかに思い出した。あれは私が退院した日、仕事帰りのJと落ち合ったのかわざわざ迎えにきてくれたのか、二人でバスに乗った。行き先はホームセンターで、すっかり日が落ちた京都の外れのホームセンターはまだ煌煌と電気がついていたのだが、とにかくよそよそしく佇まいから既に「買わないのなら帰っておくれやす」という雰囲気だった。

退院したてで体力が激減していて、なんだか半分はどうでも良かったけれど、それでもその残り半分はやっと自由になれた開放感と、久しぶりに友人に会えた楽しさで昂ってはいた。おもむろに彼は「この中からどれか選んで」と鶏頭を指をさす。これかな、とすでに花の多いものを選ぶとてきぱきと苗を手に取り、土を選び、鉢もぱっぱと決めた。緑色をした買い物かごは急に重さを増したようだが、すたすたとレジへ向かう。

再びバスに乗って私が当時住んでいた部屋へ戻ると、新聞紙を広げてそこに先ほど買ってくれた鶏頭を、ビニールの苗パックから出して、鉢に移し替えてくれた。入院していたことにあまり触れずに「結構楽しいですよ」と。

差し出された鉢には小さいけれど鮮やかな鶏頭が並んでいて、つつくとふるっと揺れる。鉢は窓際の、ぎりぎり陽の入らない場所(私は当時洞窟のような薄暗い部屋に住んでいたから、そこしか明るい場所は無かった)に置いて毎朝水をやるようになった。

あの日から随分経って、私は地元に戻ってきたし彼も京都から東京、そして地元にいるという。距離は遠く離れてしまったし、その日のこともだんだんおぼろげになってはいるけれど。私には一人の子どもがいて、毎日を時間に追われるように過ごしているけれど。有り余る時間に取り残されていた自分を、懐かしさと情けなさと恥ずかしさが入り交じって思い出す。あの鶏頭は、やっぱり本物の日光が少な過ぎたためにどんどん色褪せて、やがて枯れてしまったけれど、それでもしばらくはずっとろうそくが灯っているように、明るかった。


記憶という庭に、私はひとつの鶏頭の鉢を持っている。その鉢で鶏頭は赤に、橙に、色とりどりに咲き誇る。いつまでも私が覚えている限り、風にその花を揺らされて咲き続ける。

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