子どもが昼寝をしている間は、私の自由時間だ。好きな事だけをする。好きではないがしなくてはならない事をする。好き嫌い抜きでするべき事をする。熱を少しずつ放射しながら眠る子どもの傍を離れて、あれこれする。そう言う時は完全に一人で、自分の身が二つに分かれてから味わう事が少なくなった、「かんぺきなひとり」になる。
まだ二歳手前な所為か、起きた時に機嫌がいいということは少ない。大抵、家の中の離れた場所でなにやかやとしている時に呼ばれる。「起きたー!」などというように。
いそいそと私は子どもの傍にすっ飛んでいく。そういう時に子どもの顔をまじまじと見ると、なんだか眠る前とは少し別人のような顔をしている。だから私はいつも、「お久しぶりねえ」と声をかけてしまうのだ。
子どもにとって眠りは、多分起きている世界とは断絶されている。ぽんと眠りの世界に投げ込まれ、そしてまたぽんと起きている世界に投げ込まれるように。うっとりとけれど乱暴な振り落とされ方で眠る。寝かしつけていると自身の限界まで目を開け続け、それからまぶたを可能な限り制御しようとしているけれども、いつも呆気なく、眠っていく。
起きた時にかのじょの世界はいつも一変している。見覚えのあるいつもの部屋、馴染みのある絵本、ちらかしたままのままごと道具。けれど同じ部屋の中で時間だけが確実に動き、部屋の中を攫っていくのだ。その度にかのじょはいちいち律儀に驚いているようにも見える。
そんなわけで私は「お久しぶりね」とかのじょを迎えるのだ。たった一人で眠りの国へ行ってたのね。お帰り、と。やがてその寝起きの「お久しぶりね」は学校からの帰宅を迎える時のことばになるかもしれないが、それまでは、母親ぶって寝起きを迎えようと思う。
2010年7月10日土曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
滅びの王国
『すえっこOちゃん』という本を借りた。Oちゃんのほんとうの名前はオフェリアだけど、いつもOちゃんと呼ばれている。スウェーデンのある町に住んでいる七人きょうだいの末っ子で今は五歳。年上のきょうだいがいるのでおませさんだそう。奔放ではちゃめちゃだけれど、OちゃんにはOちゃんの理屈がし...
-
『すえっこOちゃん』という本を借りた。Oちゃんのほんとうの名前はオフェリアだけど、いつもOちゃんと呼ばれている。スウェーデンのある町に住んでいる七人きょうだいの末っ子で今は五歳。年上のきょうだいがいるのでおませさんだそう。奔放ではちゃめちゃだけれど、OちゃんにはOちゃんの理屈がし...
-
東京優駿(とうきょうゆうしゅん)とは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の芝2400mで施行する競馬の重賞競走である。 一般的にはレース名の副称である日本ダービーの名で広く知られており、現在の日本の競馬においてその代名詞とも言える競走である。「競馬の祭典」という呼称もマスコミ...
-
『真鶴』(川上弘美 文藝春秋)を読んだ。読むかどうか迷って、結局は読んだ。このひとの本を読むと、自分がうすく剥がれ落ちていくような気がして、不穏な気持ちになる。嵐の直前のような、波の高い海を見ているような、そういう気持ち。波立つ冬の冷たい海を覗いている気持ちもに近い、...
0 件のコメント:
コメントを投稿