2010年1月14日木曜日

修道院のサラダ

  冬になってから、冷たい野菜を食べていない。冷たい野菜、とは、サラダのこと。サラダはよく冷えていた方が美味しいし、火照った身体をさますのに丁度いいと思う。良く冷やした水に近い食べ物で、果物ならすいかに近しい。私の中でサラダは夏の食べ物で夏の季語だ。だから冬になってからはサラダは食べていない。

  失ったものの方がうつくしかったり、比べるとより価値があったように思うのと同じ。「むかし」「そこ」になくて「いま」「ここ」にあるものをうつくしく思うことは少ない。「むかし」「そこ」にあって「いま」「ここ」にあるものは過去と現在を繋げているのだから、うつくしく思えなくても、構わない。いずれうつくしくなるだろう。「むかし」「そこ」にあって「いま」「ここ」にないものが、うつくしくこころに残る。ものをうつくしがれるのはそれが既に過去になっているからだ。過去で止まっているからだ。過去の色を留めているからだ。

  それと同じように食べていないものは、食べていないときの方がより鮮明に「美味しい」或いは「美味しかった」と思う。同じ材料で同じ作り方で同じ条件ででも、過去の味に勝るものはすくない。それは記憶が美化しているだけかも知れないけれど、その最上級のサラダが、修道院で食べたサラダだ。

  お世話になったシスターがいて、かのじょが新田原の修道院から京都へ来られたことがあった。九州へ帰られる前に会えたらとお声をかけてくださって、私はいそいそと出掛けていったのだった。かのじょは変わらずふくふくと大らかで、しわが深く刻み込まれて日に焼けた手も、変わらず優しかった。頬ははじめて出会ったときと同じようにつやりと輝いていて、朗らかに笑う姿は、変わらない。

  どういう話の流れで修道院にお邪魔したのかはもう殆ど覚えていない。河原町教会で会ったはずで、めずらしくひとのいない教会を出た後、阪急京都線のある駅で降りたと思うのだけれど、もしかしたら大宮あたりで一旦降りて、ふたりで歩いていったような気もする。その頃私は、殆どものを食べず、カーテンを閉め切った部屋で壁を睨みつけて一日を過ごしているような不健全な生活をしていて、夏でも外出するにはごく薄いカーディガンを手放せずにいた。袖がない服を着ることが出来なかった。ものを食べないものだから不健康な顔色をしていて、今よりもさらに潔癖だった。冬ではなかったことだけが確かだけれど、梅雨入り前のことか、梅雨が明けた後のことか、よく覚えていない。ただその日が曇りだったことはよく覚えている。雨が降りそうな湿った空気が漂っていたけれど、降り出すには足りないというような曇りだった。

  シスターに伴われてふらりと現れた(と言うよりほかない)部外者である私を、その修道院のシスターは快く迎え入れてくださった。低くうなりそうな空の下、修道院の裏手にあるささやかな畑を見ながら中へ招かれ、食卓のある小さな部屋へと促される。窓の外で猫がそそくさと通りすぎていくのを見ながら、気恥ずかしさと小さな居心地の悪さを抱きつつ、遅めの昼食をいただいた。小さなおにぎり、トースト、そして修道院の裏手でとれたと野菜を使った、サラダ。みずみずとしたうすい、春の海の色をしたきゃべつとちりちりっとフリルが可愛らしいレタス、しゃっきりしたたまねぎをざっくりと皿に盛った簡素なサラダは、存外のどごしが良くて驚いた。美味しかった。ただもう美味しかった。

  ふたりのシスターは朗らかで、元気だった。その中でいちばん年若いはずの私よりも断然溌剌としていて、それでいて静かだった。日が傾き始める前に私たちは修道院をおいとまして、シスターは九州へ、私は自分の部屋へ帰った。桂より東に部屋を借りていたので、日暮れに向かって、帰った。歩いて戻ったのか途中でバスに乗ったのか、それは覚えていない。胃袋の中でレタスもきゃべつもきっちり消化を始めているのが分かったけれど、そのことに久しぶりに罪悪感を持たずに、そのまま眠ったのだった。

  その日以前も以来も、何度も葉野菜のサラダを食べているけれど、全然、あのときのサラダの味にはならない。味が近づくこともない。近いような気になることもない。例えば今、別の修道院でサラダをいただいても、あの時と同じ味にはならないことは、何となく分かっている。二度と食べられない、「むかし」「そこ」にあったサラダ。「いま」「ここ」にいる私が、永遠に失った修道院のサラダ。今よりももっと簡単に「絶望」していた頃のはなし。

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