世界は美しく完成される為にあるパズルだったはずだった。箱を見ながら作りさえすれば、美しく完成するはずであって、完成しないのはまだ私が生きているからである。作成途中の私のパズルが美しく見えないのは私の尻が青い所為であって、世界の所為ではない。
どのくらいまで出来上がったか、というのを俯瞰してみる事が出来ないでいる。近づいてピースをはめ込んでいるからではなく、寧ろモザイク模様のように出来上がっている場所と場所とが遠過ぎて、また繋がりがあるようには思えなくて、どうはめ込んでいけばいいのか迷っている。過去と現在の、現在と未来の、過去と未来の、繋がり方が滅茶苦茶なのだ。
それぞれの「世界のパズル」を完成させる為にはこちら側も、「角が潰れているから」「見つからないピースがあるから」「不器用だし完成図を想像出来ないから」と思っていては完成しない。とは言っても相性もあるし、難度が技量よりも高かったりすると、やっぱり難しい。幼児が苛立って積み木を崩してしまうように、わーっとぐしゃぐしゃにしたくなる。そしてそういう場面に私は頻繁に立っている。
必ず完成するパズルじゃないんだ、とは知らなかった。知っていたからといって上手く繋ぎ合わせていけたかというと、そうではないのだけれど、それなりに繋がっていくものだと思っていたからだ。いざ開けてみても、ピースが全部揃っているわけではなかった。紛れ込んでいたり角が潰れていたり、そもそも入っていなかったり。それでも大抵の場合はそこに欠けたピースがあるとして、繋げられたはずなのだ。「なんだかよくわからないけれど、同じ色っぽいから多分ここだ」とねじ込んだピースが、私のパズルには沢山あるはずだ。その所為で、どこかしかが歪んでいたり、俯瞰した時にどうにもおかしい繋がり方をした部分があったり、と。それはそれで面白くはあるだろう。結局過去は肯定する為にしか存在出来ない。否定をしてしまったら、現在の自分はどこに消えるのだろう。箱の中だろうか?
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