2017年9月12日火曜日

爪を折った録音テープ(セロハンテープで修復済み)

  その人が完全に世界から失われたとわたしが知った日のことを、この数日間はずっとリプレイしていた。脚色しながら繰り返したので、もうオリジナルの過去はないだろう。オーバーダビングと言うのだろうか?繰り返し録音/録画して、テープそのものが劣化し始めているところにさらに劣化の追い込みをかけるように、二倍速三倍速で録音/録画していくように幾度も。

  わたしはいろいろなことを思い出しながら新しく上書きして、ダビングしたテープのような怪しいサブリミナル効果付きの記憶を得る。マッドビデオ。記憶のリソースの為に「誰か」と「会った」過去にも、新しく別の過去を上書きして、「誰にも」「会っていない」事にする。なのに残しておきたい記憶ほど粗くおぼろげになっていくのは何故なのだろう?

 わたしは過去を忘れたかった。わたしは過去に慰められたかった。わたしは過去を愛したかったし、過去に愛されていたと思いたかった。でもそうではないから、わたしはあり得なかった未来の為にあり得ない過去を新しく作っている。わたしの過去はこうして失われていくのだろう。やがてフィクションの過去だけが残る。

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