2018年12月11日火曜日

スノー・ドーム

 光に透かすとなんでもきれいになる。例えばそれは、窓から差し込んだ光の中で踊る誇り。古びた信徒席に射すステンドグラスの赤や青や黄色。アオスジアゲハの一筋の青。水晶に劣らない輝きを放つつらら。

 人間も例に漏れない。まだ白目が青味がかっているこどもたちの、光るうぶ毛。大人もそうかもしれないけれど、大人を光に透かしたことはないな。眩しいから/風が強いからそこに立っててとは言った事がある。もともとわたしは毛のある生き物がみんな苦手だし、大きいとなおの事、きらい。大人は毛がごわごわしているし、大きな声を出すし、身体の大きさを考えずに勝手に動き回る。力の入れ方もおかしい。だから光に透かそうとも思わないし、透かさないから綺麗だとも思わない。それに加えて、光の中で会う機会はそんなに多くはないのだった。その人としたい事がないから、会おうと考えつかない。
”大人というものは夜を分け合うものだ”と、誰かが言っていた気がする。同じ部屋で一緒にいながら別々のことをして、自由に呼吸をするのが好きだった。真夜中に川を見に行ったり、星を探しに行ったり、バイオリンを弾いたり。夜を分け合うってこういうことでしょう。そんな人に、大人になってから出会えるのかしら。もう一度出会う事があるのかしら。

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